トランスナショナルな生活世界を生きる個の理解を目指して
大橋香奈氏(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科博士課程*)
インタビューアー 真鍋陸太郎(東京大学)、饗庭伸(首都大学東京)
この原稿はスカイプでインタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです
大橋さんの研究フィールドをご紹介ください。
私の研究フィールドは、ジョン・アーリが第一人者として牽引してきた「移動の社会学」です。一定の境界に枠づけられた領域としての「社会」に人びとが帰属、定住することを前提とする従来の社会学とは異なり、領域を超えるさまざまな「移動」に反映された社会的なものを見る社会学です。ここでいう「移動」には「空間的な移動」も「社会的な移動」も含まれます。私自身が国内外で20回の引越しを経験したこともあり、アーリが言うところの「定住主義」的な価値観からは見過ごされてきた「移動」の意味や価値に関心を持つようになりました。
研究の道に進むきっかけになったのは、フィンランドへの引っ越しでした。学部を卒業後に5年半ほど民間企業に勤務しましたが、研究者である夫がフィンランドで研究することになり、2009年に会社を辞めてフィンランドに移住し、新たな生活をスタートさせました。空間的な移動とともに、社会的な移動が起きたわけです。会社員という身分を失い、肩書きのない宙ぶらりんな状態で、知り合いも誰もいないフィンランドで「ぽかん」とする経験をしました。その時に、学部生時代に所属していた文化人類学の研究室で学び実践した「フィールドワーク」という方法で、何か新しいことを出来ないかと考えました。夫の当時の研究テーマが「インフォーマルな学習環境のデザイン」だったので、夫とともにフィンランドの各地で学校の外にある「学びの場」を訪ねて、フィールドワークをすることにしました。私にとってこの活動は、フリーな立場から、自分の社会的な場所をつくる模索でもありました。こうした経験から、「空間的な移動」と「社会的な移動」の両方の経験について理解したいと考えるようになりました。
学部生の頃からそういうご関心があったのですか?
学部生時代の研究は、祖母のライフ・ストーリーへの関心から始まりました。祖母はアルゼンチンに25年間住み、「移民」になりかけた人でした。私もその縁でアルゼンチンに何度か行ったことがあり、合計すると2年くらい住んでいました。それで学部生の頃は、アルゼンチンの日系人コミュニティの調査をしました。日本人として現地に移住した一世と、その子ども・孫世代である二世・三世では、自分が何人(なにじん)であるかについての考え方が、同じ家族の中であっても異なりました。そういった日系人のアイデンティに関して、インタビュー調査をもとに検討しました。会社員時代はこの研究のことを忘れていたのですが、フィンランドに移住した時に再び掘り起こされました。
フィンランドでは、夫と「ユタカナ(yutakana.org)」というユニットとして、フィールドワークを中心にいろいろな活動をしていました。その成果をまとめて毎月ウェブマガジンに記事を投稿していたのですが、1年半くらい経った頃に、日本の出版社の方に声をかけていただいて、『フィンランドで見つけた「学びのデザイン」』という本になりました。この本は、学術的なエスノグラフィーではないですが、エスノグラフィックなアプローチで現場の人の声を伝えることは面白いし、説得力があるということを実感しました。一方で、文字や写真だけでは伝えきれなかった情報があることも感じて、「映像を使ったらどう表現できるだろうか」ということに関心を持ちました。そこで、フィンランドからロンドンのフィルムスクールに3ヶ月間の短期留学をし、ドキュメンタリーフィルム制作を学びました。
現在の博士課程では、研究テーマとしての「移動」、研究アプローチとしての「映像の可能性」を統合しながら考えているところです。「移動」の経験を、映像を通じて考えたいと思っています。
学部生の頃と研究対象は変わってきていますが、変わっていないのは個人の経験の理解から始まるということです。これは自分の研究のスタイルとして一貫しています。具体的な個人の生活の中に社会が反映されており、それを理解することから考えたいです。
生活学プロジェクト「トランスナショナルな生活世界の映像民族誌的研究」についてお伺いします。
生活学プロジェクトのタイトルにある「トランスナショナルな生活世界」とは、異国の地に移住した人びとが、母国や他国で暮らす「家族」と国境をまたがる交流を続けることで成立します。「トランスナショナルな生活世界」がどう成り立っているのか、トランスナショナルな状態でつながっている「家族」とはどういうものなのかを映像で描き出すプロジェクトです。
国境を越える移動(移住)そのものは新しい現象ではありません。21世紀にかけて、さまざまな技術革新が起こった結果、国境を越えて移動した後も、国境をまたがるさまざまな交流をすることが技術的に可能/容易になったことが、「トランスナショナル」という新たな現象を生み出しました。具体的にはICTの普及、交通手段の進化(格安航空券の登場など)といったものがきっかけです。昔は一度移住したらなかなか母国には帰れない、国際電話も高額でしたので滅多に連絡できませんでした。それが、今では人、モノ、資本、情報、イメージの移動にかかる時間や費用は大幅に減少しました。それで、「トランスナショナル」という視点の研究が生まれ、研究の蓄積が進んできたというのが現状です。
プロジェクトのきっかけは?
先ほど述べた通り、自分が引っ越しという「移動」を繰り返してきたことにあります。引越しが多いと「根無し草」と形容されることがあります。さまざまな社会の仕組みが「定住」を前提として組み立てられており、引っ越しを繰り返すと、そこから浮いていると理解されてしまいます。「定住主義」で見ると、移住者は肩身の狭いマイノリティに見えてしまいます。しかし、そこにある経験の面白さ、意味、社会的なものをもっと見つめたら面白いのではないかと考えています。
このような視点の研究はもしかしたら、東日本大震災のあとに、想定外の移住をせざるを得なかった人たちの問題ともつながってくると思います。移住という経験を前向きにとらえる研究があれば、救われる人が増えるのではないかという思いがあります。
どのような研究方法なのでしょうか?
「トランスナショナルな生活世界」の理解を目指して、6人を対象にそれぞれの方に1年間かけて調査しています。そして対象者と協働して、映像を制作しています。これまで4人の調査が終わり、作品としては2人分が仕上がっています。残り4人分の作品を仕上げて、6人分で博士論文にしたいと考えています。
対象者選定の基準は、移住の理由や、「トランスナショナルな生活世界」を送ることになった背景が異なることです。国籍、年齢、職業では選別していません。具体的には、1)留学目的で移住してきた香港出身の女性、2)就職目的で移住してきたイギリス出身の男性、3)結婚を理由に移住してきたペルー出身の女性、4)出稼ぎのため日本滞在中に病気になった夫を看病するために移住してきたペルー出身の女性、5)ビジネスを始めるために移住してきたネパール出身の男性、6)高校生の時に母親が仕事のためにベトナムに移住したことによって「トランスナショナルな生活世界」を生きることになった日本の男性を対象としています。
今年度もプロジェクトは続きます。6名分の映像民族誌作品を使って、単に上映するだけではなく、ワークショップをしたいと考えています。作品を上映して、ディスカッションをしたい。研究の成果を、論文では届けられない人にも届けられるのではないかと考えています。
具体的にはどのようなアプローチなのでしょうか?
調査対象者の生活空間での参与観察的な撮影もしますし、対象者が持っているさまざまな「生活記録(日記、カレンダー、手紙など)」を用いたインタビューもします。参与観察的な撮影もインタビューも、同じ人に対して1年間に何度も実施します。そこから研究テーマを明らかにする上で重要と思われるストーリーを整理し、それをあらためて対象者に見てもらって、最終的には対象者がどのストーリーをどのように語るのかを決定し、それにもとづいて映像民族誌作品を制作します。この研究成果の一部は、『生活学論叢』Vol.30に論文として掲載されています。
論文で扱ったのは、香港出身のジョイスという留学生の事例です。彼女の場合は私が所属する大学で出会ったので、生活についての状況はある程度理解していました。彼女の授業、自宅、アルバイト先、散歩コースなどに同行して参与観察的な撮影をしました。そのプロセスで対話を重ねました。生活空間では、ビジュアル・エスノグラフィーの研究者が提案している「ビデオ・ツアー」という方法も実践しました。調査者がカメラを向けた先にあるものについて、それがどのような意味を持つのかを対象者が解説することで生活空間を探索する方法です。この方法によって、ジョイスにとっては見慣れているけれども、私にとっては見慣れないものがあぶり出されていきました。例えば、彼女が日本に関心を持つきっかけになった本がわかったり、本棚に彼女の母語である広東語の本がないことに気づいたりしました。ビデオ・ツアーという方法をとることによって、お互いに新鮮なまなざしで生活空間を見直すことができます。また、「生活記録」という意味では、写真やカレンダーなどだけではなく、デジタルなメディアに残る履歴、FacebookやLINEなどに残るログをたどりながら、「家族」とどうコミュニケーションをとっているのかを探索します。調査の経過はフィールドノーツに記録し、いつ、どこで何を調査したのか、ということをまとめます。以前10人の対象者へのインタビュー調査を実施した際は、音声とテキストのデータだけで合計1GBでしたが、今回の映像民族誌的な調査の場合、映像を中心に、写真、音声、テキストとデータが多岐にわたり、1人分だけでも32GBになりました。フィールドノーツに経過をまとめておかないと、データに埋もれてしまいます。この作業はなかなか大変です。調査の最後には、フィールドノーツを整理してストーリーをまとめ、対象者とともにどういうナレーションを入れるのかを決定し、最終的な映像民族誌作品を制作します。
どういうことが分かってきましたか?
まだまだ研究の途上ですが、「トランスナショナルな生活世界」のありようが具体的に見える例のひとつとして、ネパール出身のビバスさんの場合、ネパールやアメリカに住む「家族」との交流のために、いくつものメディアを使い分けていました。スマートフォンを使い、お兄さんや弟さんとは、Skype、Viber、FacebookのMessengerでよく連絡しています。実家にはiPadがありますが、両親は使いこなせないので、お兄さんにサポートしてもらってSkypeでビデオ通話し、両親の顔を見て話します。ネパールは停電が多いので、そういう時は固定電話しか使えなくなります。国際電話カードを使って、実家の固定電話にかけることもある。多くの人が携帯電話を持つようになったので、手紙を書くことはほとんどないけれども、結婚式など大切なイベントでは、カードを出すこともあります。このように複数のメディアを使い分けることは「ポリメディア実践」と呼ばれています。調査を進める中で、トランスナショナルな交流のための「ポリメディア実践」においては、単純により進化したメディアや、より安いメディアが選ばれているわけではなく、別の国で暮らす相手が置かれている通信環境、相手のリテラシー、文化的背景などを考慮した上で、メディアが選ばれているのだとわかりました。
また、生活空間に関して、ビバスさんの場合、都内の典型的な団地で暮らしていますが、一歩室内に入ると私が「外国人」だという気持ちになりました。棚の上には見慣れないスパイスのボトルがずらりと並び、床にはネパールの伝統料理が盛り付けられた皿が置かれ、テーブルの上にはネパールの祝日を祝う飾りが施されていました。生活空間の中に、みなそれぞれ自分の「ホーム」を作り上げる工夫をしており、モノの選択や配置には、その人が考える「ホーム」が現れているのが面白いと思います。この面白さ、質感は文章ではなかなか伝えることがむずかしく、ビジュアルな方法、写真や映像の力が有効だと感じます。
ビジュアルな方法は、私の研究のように、調査者と対象者の文化的、言語的背景が異なる場合において両者のコミュニケーションを助ける力を持っていますし、さらには研究成果を第三者に伝える時にも文字だけでは伝えにくいことを表現したり、文字だけでは伝えにくい相手に届けたりすることができる魅力があると思っています。
生活学との関係は?
私は「移動(移住)」によって、複雑で混交的な生活世界を生きることになった個人の姿と、彼や彼女の経験に根ざした「ローカル・ノレッジ」を、時間をかけて理解し、映像を使って描き出したいと考えています。この問題意識は、「生活の中で人間を発見し、人間を通して、生活を見つめ、そのことによって、人間にとっての『生きる』ことの意味を探求する」という「生活学」の立場に通じると理解しています。
学部生時代は「文化人類学的研究」を実践するために、はるばるアルゼンチンまでフィールドワークをしに行きましたが、師匠である加藤文俊先生と出会い、自分の身近な世界で生きている人びとの暮らしを見つめることの面白さを教えていただきました。人びとの暮らしの中に、実は驚きに満ちた工夫があるということ。そこに目を向け、尊ぶことのできる研究者でありたいです。
これからのご予定は?
博士研究をまとめることで頭がいっぱいです(笑)。その先のことは、まだじゅうぶん考えられていないですが、ひとつ考えているのは、東日本大震災で被災し想定外の移住をした人びとの経験の理解に、現在取り組んでいる研究を応用できないかということです。移住を余儀なくされた人びとが経験してきた生きづらさや苦痛の一部は、もしかしたら、「定住主義」的な価値観からきているのかもしれないと思っています。それをどのようにしたら、解放したり、軽減したりすることができるのかというのは大きな問題です。社会の仕組みを大きく変えることはできないかもしれませんが、想定外の移住を乗り越え生き抜いている人びとの個別的な工夫や戦術を明らかにし、そのストーリーを伝えることによって、新しい見方を提案できたらいいなという気持ちがあります。
生活学会の皆さんにむけての一言をお願いします。
「移動」についての個人の経験や、それに根ざした「知識(工夫や戦術)」の価値や意味を、映像を用いて伝えられたらいいなと考えています。
わがままを言うと、将来的に、論文だけではなく映像も研究成果として認める仕組みができたら、とても先進的で社会にひらかれた、今まで以上に魅力的な学会になるのではないかと思っています。
たとえば、ハーバード大学のメディア人類学専攻のPh.D.(Anthropology)では、学位論文とともに、民族誌作品としての映像もしくは写真、音源を提出することが義務づけられています。ここでは論文と映像による成果が同等に扱われています。また、デポール大学の社会科学研究センターは、民族誌作品としての映像の価値を広げるため、研究成果として映像作品を募集・審査し、「査読付映像作品」を掲載する世界初の学術誌としてJournal of Video Ethnographyを設立しました。日本生活学会でも、論文以外の形式の研究成果を受け付けることについて、検討する余地はないでしょうか?
ありがとうございました。
(インタビュー実施日 2017年6月29日)
インタビューを終えて(インタビュアーの一言)
身近な生活世界を丁寧に映像で拾い上げて、物語を紡ぐように研究成果を組み立てていく大橋さんの研究スタイルは、たくさんのコミュニケーションの回路が開かれた研究スタイルであり、従来の、ウチにこもりコミュニケーションの回路を絞りこんでいくタイプのスタイルとは逆の、大きな可能性を感じるものでした。映像の査読という、聞くだけでも大変な作業がどのように成立するのか、させるべきなのか、こちらもまた興味がつきないところです。(饗庭)
ICTや流通の展開がトランスナショナルな生活を加速・変化させ、以前とは違った様々な形での生活を現実のものとしています。それは大橋さんが対象としている「背景が異なる」6人に見てとれます。これからはトランスナショナルな生活をおこなう人々がより増える世界となると思いますが、そういった近未来でのトランスナショナルな生活とはどういう意味・意義を本人と社会とに持っているのか、大橋さんの研究成果の、その将来についても大変興味深いです。(真鍋)
「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。