台所を通じて住まいや生活の近代化を明らかにする
須崎文代氏(神奈川大学非文字資料研究センター 客員研究員、相模女子大学・文化学園大学非常勤講師*)
インタビューアー 真鍋陸太郎(東京大学)、饗庭伸(首都大学東京)
この原稿はスカイプでインタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです(現・神奈川大学工学部建築学科 特別助教 常民文化研究所 所員 非文字資料研究センター 研究員)
まずは須崎さんご自身の研究フィールドとキャリアをご紹介ください
近代住宅史、特に近代の台所史が専門で、住宅用の台所の変遷について研究しています。出身は文化女子大学造形学部生活造形学科の内田青蔵研究室で、建築史を学びました。その後、建築を単体ではなく、まちレベルの集合として捉えたいと考えまして、修士課程では千葉大学都市環境システム専攻へ進学しました。修士在学中には、国費留学で、パリ・ラヴィレット建築大学(フランス)、リスボン工科大学(ポルトガル)へ留学しました。都市やまちづくりの視点から調査研究を行うなかで、変わっていくもの、継承すべきものがあることを実感し、あらためて建築の歴史を学び直したいという意識が養われました。
ちょうどこの頃、恩師の内田先生が取り組まれていた「近代における技術革新の社会受容」という研究に出会い、住まいにおける技術革新の受容と展開のひとつとして、台所の変遷過程に関する研究に取り組むこととなりました。この研究を発展させるかたちで、神奈川大学博士後期課程に進学し、学位論文としてまとめました。この成果は本学会で博士論文賞を受賞させていただきました。以後は、台所研究を中心として、住宅史関連の研究を続けています。
博士論文賞を受賞された「明治・大正・昭和初期の検定済高等女学校用家事教科書にみる日本の台所の近代化に関する研究」について教えて下さい。
この研究は住宅史研究に立脚した台所の変遷過程とその背景となった理念についてが主題となっています。明治・大正・昭和という流れのなかで、家庭生活や住まい-特に台所空間-は大きく変わりました。調理作業は、蹲踞式とよばれる、座って行う旧来のかたちが、やがて立ち働きの姿勢(立働式)へと変わりました。そして設備やインフラの技術革新、空間デザインの変化なども起こり、台所は明治期以降に著しく変化しました。
台所史については、それまでにも研究の蓄積があったのですが、近代化過程については未明の部分が多く、実証的に明らかにされる必要がありました。実際、家庭生活のレベルの台所を継続的に記録した資料はほとんどなく、史料的な制約がありました。そうした状況のなか、当時、継続的に刊行されていた「検定済高等女学校用家事教科書」の史料的可能性に着目し、全国から可能な限りの家事教科書を蒐集しました。家事教科書には、各時代で理想とされた台所像や台所改良の考え方などが記されており、その内容や図版を対象として、調査分析を行いました。
その結果、具体的には採光、通風の方法や炊事労働の効率化、台所空間や平面の変化などの動向を明らかにしましたが、それらを総合してみると、[衛生]と[利便]という2つの理念が骨子として通底していたことが明らかとなりました。特に、明治期から大正初期は[衛生]に比重がおかれ、大正中期から昭和初期には[利便]に比重がおかれていたことが分かりました。また、立働式の導入という作業姿勢の変化は、洋風化の象徴でありながら、衛生と利便性を改善するためのものであったことを指摘しました。
どういうきっかけでこういった研究に取り組まれたのでしょうか?
もともと住生活、生活文化に興味を持っていたので、建築史のなかでも台所に取り組むことになったのかもしれません。建築史分野の中では、台所という研究対象はニッチな存在なのですが、生活造形や住宅史の教育を受けてきた私としては、非常に興味を抱きやすいテーマでした。
2012年の海外派遣研究(神奈川大学非文字資料研究センター若手派遣事業)では、フランス国立高等研究院EPHEを拠点に、ル・コルビュジエの住宅作品を中心とした台所の遺構を見て回ったことも、いい影響を受けました。この時知り合った、エコール・デ・ボザールで教鞭をとっておられたC.クラリス氏から、フランスの台所の近代化に関する書籍を、最後の一冊としていただいたことも、研究の励みとなっています。
須崎さんの研究は「生活学」のど真ん中という感じもいたしますが、生活学の中ではどのように位置付けられると考えていらっしゃいますか?
台所は、道具、設備、技術、家庭衛生、家事労働、家族の生活と関わり方など、様々な事柄が関連する学際的なテーマであり、実は広くて深い、面白い研究対象で、まさに生活を対象としている研究課題だと思います。
日本の台所の近代化の独自性について考えてみると、西洋と日本の近代台所史の決定的な違いは、作業姿勢が洋風化(座り式から立ち働き)へと変わった点にあると思います。また、西洋諸国でもっとも合理的につくられたものの1つとされている「フランクフルトキッチン」と日本の近代化の結果として収斂した台所のかたち(家事教科書に記述がみられる型)を比較すると、日本の台所の方が極めてコンパクトで合理的なデザインをみることができます。もともと日本の住宅が欧米のそれに比べて狭小であることや、日本人のモノづくりの緻密さや合理的な感覚が合間って、こうした台所空間の発展が進んだのではないかと思われます。特に、流し台、調理台などを、一体的に作ったシステムキッチンの原型が、鈴木商行などの専門メーカーを中心として戦前期に出来上がっていた。これも日本の台所の近代化に大きく影響していたといえます。
こうした台所の設計に建築家が関わっているのですか?
こうした台所の改善や、台所形態の模索については、戦前、戦後をとおして建築家の関わりも見られました。戦前では、佐藤功一や武田五一、W.M.ヴォーリズといった著名な建築家も台所のデザインに取り組んでいますし、戦後では浜口ミホ、吉武泰水といった建築家達の検討が公団住宅におけるダイニング・キッチンの採用などに関わったことが知られています。池辺陽らはコアシステムとして水まわり設備の集約的配置を利用したプランニングを実践しました。しかし、近代のなかでエポック的に変わった時期は大正中期〜後期であり、それは官学民あげての生活改善運動の影響が大きかったと考えている。この時期には、生活改善同盟会のみならず、鈴木商行を中心としたキッチンセットの商品化、三越や白木屋などデパートでの商品開発、新聞・雑誌などメディアが開催した懸賞募集の設計コンペなどがあり、さまざまな議論が展開されていました。
これからはどういった研究に取り組んでいかれる予定ですか?
進行中の具体的な研究課題は、「大江スミのイギリス留学による明治期の住居衛生論の導入と国内での 展開に関する研究」、「戦前の日本における乾式構法住宅の研究と普及に関する研究」、「大正・昭和期の都市上中流住宅における水まわり空間の変容過程」などがあります。研究課題は多様にみえますが、いずれも近代の住宅史や生活空間に関するものであり、衛生・合理化・量産化に着目した研究課題です。また、戦前期に展開された、栄養食を供給するための施設「栄養食共同炊事場」という、社会的な「台所」についても最近研究を進めていて、成果の一部は他学会(日本生活文化史学会)で発表しています。これは国立栄養研究所を設立し、栄養学の父とされる佐伯矩という人物が中心となって展開されたのですが、特に、工場労働者の粗末な食事を改善して、健康維持、疾病予防や労働意欲の向上をはかろうという試みとして、工場経営の能率化を図りたい経営者らによって取り入れられました。現在、大企業で取り入れられつつある社員の栄養管理などともつながる、面白いテーマです。
最後に一言、生活学会会員にアピールしたいことがあればお願いします!
家族世帯向け団地を対象とした、台所の使い方に関するヒアリング調査で、「台所は使わない」「買ってきてレンジで」という世帯が大きな割合であるという話を聞いたときには大変驚きました。単身者向けの住宅なら、まだわかるのですが。一方で、味噌や梅干しから手作りしたいというようなロハス的趣向の人たちも増えているようです。食事については個人による選択性が高い社会なのだと捉えることができると思うのですが、こうした状況も、台所史や住宅史の研究とつながりが深いと考えております。私は住宅史(建築史)の観点から取り組んできましたが、食、家族、社会学など、様々な分野の研究者が所属する生活学会で、議論や共同研究などの交流ができるとうれしく思います。
ありがとうございました。
(インタビュー実施日 2016年12月15日)
インタビューを終えて(インタビュアーの一言)
須崎さんの研究は、誰でも使うことがある「台所」という空間の奥深さを鮮やかに切り取るもので、こういう切り取り方があったのか、と視点の妙に感心しました。台所の空間は、ほんの僅かな寸法の違いや什器の配置の違いで、随分と使い心地が違ってくるもので、須崎さんが明らかにしようとしている近代化の中での台所空間の変化は、当時の人たちにとって、本当に画期的なものだったのだと思います。もしかしたら、違う「近代化」もありえたのかなあ、ということも想像しながらのインタビューでした。(饗庭)
台所が生活する上で欠かせない「食」を提供するとても大事なところであるにも関わらず、その変遷を追うための資料的制約があったということは、生活と密接に関わりのある他の様々なことの記録が十分でないということにも通ずることであり、同様に「空気のようで」意識されない大切なことが生活の中に多く存在し、それらを意識的に取り上げることに生活学の役割の一つがあるのだと思います。最後の、暮らしや食事の様相が変わってきた現代では台所の役割・使われ方も変わってきているとの指摘は、様々な事象、例えば都市のあり方・意義などを本質的な部分で再認識する必要があるということにも繋がると思いました。(真鍋)
「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。