小さな生活の経済をつくりだす「流しの洋裁人」
原田陽子氏(京都造形芸術大学空間演出デザイン学科 専任講師*)
インタビューアー 真鍋陸太郎(東京大学)、饗庭伸(首都大学東京)
この原稿はスカイプでインタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです
2014年の生活学会大会で、原田さんの「流しの洋裁人」を見た方も多いと思うのですが、どのようなプロジェクトなのかあらためて紹介してください。
全国各地にミシンと裁縫箱を持参し、その場で服を仕立てるプロジェクトです。服を媒介物に場の設営に関わる人、仕上がりを待つ人などその場に巻き込まれる人すべてをひっくるめた光景を提案・販売しています。場と場、人と場、人と人の交流を廻船しながら生み出すことにより、生活へのまなざし・働き方・今の社会に合った搾取やシワ寄せの無い進化を遂げる糸口のきっかけになるかもしれないとの思いで活動しています。
原田さんの研究フィールドはどのようなところにあるのですか?
服飾造形を基盤としています。実際に服を作りながら動きながら感じ取りながら、既存のファッションシステムや現状のアパレルのシステムではなく、今までにあったもの・なかったもの含めて、現代社会と寄り添う適切な仕組みや機構を生み出すことを考えています。最近では、自ら服を作るのではなく、専門的に服作りを学んでいない人や子どもと共に服を作ることで発見する新たな視座でもって、教育・文化活動につなげています。また、服の元になる生地が入手困難だった経験から、機屋さんでインターンをさせてもらい、川上からの仕組みづくりを考えています。
これまでどういうキャリア重ねてここまでたどり着いたのですか?
武庫川女子大学の生活環境学科を卒業しました。テキスタイルアドバイザーコースで、繊維製品の品質管理などを学びました。今から思うと大量生産する際にいかに効率よくクレームなくモノを作り管理するかの仕組みを学んだように思います。デザインの授業がコース内に無かったので、学科内の建築コースの授業に出て、画一的ではなく個々の生活者の視点や環境などの条件設定から作り上げていく建築分野から、デザインを学びました。卒業後、岐阜のアパレルメーカーで営業・企画を4年ほど担当した後、武庫川女子大学へ戻り、副手・助手として5年間勤務しました。その間、土曜の勤務を免除してもらい、服飾専門学校に通って服のデザインやパターン、縫製を習得しました。また京都造形芸術大学の通信制大学院にも通い、芸術環境研究領域芸術環境計画分野で修士(芸術学)を取得しました。現在は京都造形芸術大学・空間演出デザイン学科で専任講師をしています。ファッションコースの学生に対し、ミシンの扱い方から縫製・素材・スタイル画・進級制作などを教えつつ共に学んでいます。
「流しの洋裁人」を始めたきっかけや問題意識を教えてください。
卒業後の仕事は、ファストファッション(しまむら、ダイエーのような量販店に卸し売りするいわゆるOEM)の洋服メーカー勤務でしたが、生産ラインを回す為に閑散期にも無理やりオーダーを入れる生産状況がありました。東コレに出てショーを行う様なブランドより売り上げもあるし、インターンを労働力に使わず、正社員に給料をきっちり払うきちんとした会社ではありました。しかしながら、営業が店頭リサーチをして売れそうな服を買って中国の工場へ送ると数週間後には何千着もが出来上がって到着するというシステムであり、アパレル業界で起きているいろんなシワ寄せや、無理のあるモノや経済の回し方に、疑問を持っていました。
一方で、大学に助手として戻って付いていた縫製実習の時に「縫うのが嫌だ」という学生がいたので「今あなたが来ている服だって世界のどこかの工場で誰かが縫っているんだよ」といったところ、「え、未だに人が1着1着縫っているものなんですか」と驚かれ、誰がどう服を縫っているか存在が見えていないことに問題を感じることがありました。ファッションを学ぶ意識のある学生においても、普段自分たちが着ている服が、世界のどこかの誰かの手によって縫われていることを知らないといった事態が起きています。これは普段のくらしに要するものをつくる行為が家庭外に移り、ものづくりの現場が身近なくらしと乖離されているために起きている現象ととらえています。
その頃、友人に会いにいったバリ、ガーナで、街中で雑貨屋や食料品店や自動車修理屋さんと並んでテイラーさんをたくさん見かけたのです。テイラーさんを含めた道路沿いのコンテナ商売の光景に、人間の生きている姿・暮らしをみました。皆、それぞれが自分のできることを探して小さな店や役割をもっていきいきと暮らしているんだなと感じました。
自分ができることは何かと考えた時に、現状のファッションシステムに乗っかるのではなくて「その場で作る」という光景を見せることが、次世代への興味の喚起にもなるし、くらしかたの見つめ直しや新しいファッションシステムを構築していくきっかけになるのではないかと思いました。
かなり精力的に活動をされていらっしゃいますよね?
これまでに30回ほど全国に流しています。
2014年9月京都造形芸術大学の文化祭で第一回、10月尼崎地べたフェス、12月原宿コロモザ(アパレルに特化したファブラボのようなシェアスペース)から始まり、生活学会@武庫川女子大学、大学院の授業で知り合った山梨県の個人宅、滋賀県高島市の地場産業会館、茨木市の前田文化という文化住宅のオープンスペース、阪急百貨店、阪神百貨店、名古屋のコワーキングスペースでのフェス、滋賀県の元機織り工場を改装したファブリカ村、桐生市の商店街、日本橋三越、滋賀県立近代美術館、富士吉田市での地場フェスや大分県竹田市のアートイベントに流しました。
流し先開拓の上でも、文化祭、個人宅、シェアハウス、美術館での子供向けWS、百貨店でのWSなど幅広い形態を取るようにしています。
今のところ決まったやり方があるわけでなく、実践のタイプは色々あり、アメーバのように行く先々で変化しています。パターンは大きく4つあり、(1販売) 生地の産地や百貨店に行って作って帰るパターン、(2教育文化) 子供や参加者に作ってもらうワークショップ、(3芸術文化) 文化住宅解体のための服をからめたお見送りの儀式( 鎮魂祭)、(4経済文化)地域の文化に絡めたお祭りの出店として作って帰ってくるパターンなどです。
どのような手応えを感じていらっしゃいますか?
都市部・郊外部で反応に違いはありますが、それより世代間での反応の違いが大きいことに気づいています。40歳代以下の反応は「珍しい」「家庭科で出された宿題は全部母に縫ってもらった」という反応、50代は服を仕立ててもらった経験があるので、「娘にも体験してもらいたい」というような反応、60代以上は、「自分もやっていたし懐かしい」という反応があります。子供達は面白がってそばを離れないで見てきたり手伝おうとしてくるような反応でした。
嬉しかったのは、30代そこそこの私が一人でやっているのを見て、何か「個人で」「もう一度」やってみようと思うという反応があったことです。社会に貢献しているという実感を得ました。流しの洋裁人をみて「大企業に入らなくてもできることがある」「いったん会社から離れても子育ても終えたことだし自分一人でも何かできそうだ」と感じてくれる人も多くいるようです。しばらく見てから帰り際に「元気でたわ」といって下さる方も結構います。また、作った服を着るたびに、洋裁の光景を思い出して元気になれる、という方もいました。
去年作った服を着て来てくれるリピーターのお客さんの存在も嬉しいです。そういう人たちのもとに帰っていくサイクルも築いていきたいですね。
失敗談としては、最初の頃は、その場で縫いきれずにほぼ全着持って帰っていました。今も大学の業務との兼ね合いがあって「流せない」葛藤があります。無理な受注を受けた時に困ってしまいます。
生活学という言葉と「流しの洋裁人」の関係をどのように理解したらよいのでしょうか?
衣服は人が毎日着ている基本的で身近ものなので、それについて考えるべきことはたくさんあると思います。作る人、生産の問題、生産背景、世界情勢との関係、など論点がたくさん転がっているし、疑問も考えることもたくさんあります。基本的で身近なものこそが日々の生活を作って、その少しの変化が大衆や時代をつくっていると思うので。
衣服をつくる行為と日常の生活は以前よりも距離があるかもしれませんが、毎日着ているものを拠点に考えていることが生活学との接点ではないかと思います。
「流しの洋裁人」のこれからの展望について教えて下さい。
まずもっと鮮やかに空間を演出できる道具箱と什器一体型の屋台を作りたいです。それから最終的には裁縫箱いっちょな身軽さで一筆書きで回れるようになりたい=全国流しツアーのような形ができると面白いですね。各地で「ホストファミリー」のように人が待っていて、そこをぐるぐる回るようなシステムをつくりたいですね。無駄が無いし、各地域独自の条件をもとにまた新たな展開を考えることができそうです。各地に、自ら育てた洋裁人を置いていくのも面白いかもしれません。
また、服に限らず「回遊して小さな経済活動を回す」仲間が増えると嬉しいですね。服に限定すると仲間はまだ一人いるかいないかという状況で、次世代に期待していますが、食ではそういった仲間も増えつつあるように思います。
原田さんのような人は増えているのですか?
少し視野を広げてみると、ファッション業界では、東京で服をつくり、ファッションショーなどを開いてPRし、バイヤーに来てもらって服を売るというスタイルが一般的でしたが、地方に出かけて行き、デザイナーが直接に売るようなスタイル、あるいは地方から出て来て売るようなスタイルをとる若い人が増えてきたので、ある意味では「仲間」は増えて来たのではないだろうかと思っています。ファッション業界は大量生産時代に出来たシステムを無理やり維持生産しているのでシワ寄せがどこかしらに起きていて、ブラック企業も多い。そういうシステムへの反発から、ニッチであっても自分たちで全てをやろうという人たちが増えてきている気もします。
最後に一言、生活学会会員にアピールしたいことがあればお願いします!
生活学会ができた時代(1972年ごろ)は、個々で作っていた時代から大量生産へ移行した時代で、学会としてもそこに疑問を持った人々が起こした学会なのではないでしょうか。今は日本という島国で回していたシステムが、大量生産×グローバル化したので多国籍・多文化での共生の必要が出て来た時代で、生活学会の役割も変わって来たように思います。
生活学会は、くらしを多方面から眺め、時代とともにあるというスタンスの学会だと思いますので、今後も流動的な見方をつねに作り出す場であってほしいなと思います。体系化・形骸化もアカデミックではとても大切なことですが、私の様な若手が分類整理しきれないままに持ち込んでも、チャンスをくれたりたくさんの示唆をくれ大切にしてくれる学会はそうないと思います。これからも変容することを恐れず、古いものも新しいものもどちらがいいとかではなく、今の生活とどうあるべきか議論する場であってほしいと思います。
ありがとうございました。
(インタビュー実施日 2016年11月29日)
インタビューを終えて(インタビュアーの一言)
原田さんの活動は、亜流であるように見えて、生活学を正統に継承するものなのかな、ということが感想でした。生活学会が始まったころに比べると、生活にまつわるあらゆる仕組みが「手に負えないもの」になってしまったところに、切り込んで、全体性を一筆書きのように描いてみる挑戦、ということでしょうか。その挑戦は一人ではできず、たくさんの人たちと同じようなことをやってみたい、という立ち位置にも共感しました。あと何年も活動を積み重ねたあとに、「手に負えないもの」をどういうふうに描きなおしてくださるのか、期待をしたいと思います。(饗庭)
流しの洋裁人は目の前で自分の洋服ができてくるというとても親しみやすいパフォーマンスです。しかしその本質は奥深いものでした。グローバリゼーションや大量生産化によって普段着ている衣料を作っているコトが見えないという、今日の「衣料環境」を批判的に捉えた社会的な活動なのです。原田さんが望むような「回遊して小さな経済活動を回す」仲間が増えていくことは、これからの生活者視点の新しい社会を支えることにつながるのでしょう。(真鍋)
「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。