都市論と計画の葛藤を越えて -地方都市のまちづくりと大都市の消費都市論を往還する
吉江俊氏(早稲田大学理工学部講師)

インタビューアー 石川初(慶應義塾大学)、土居浩(ものつくり大学)、饗庭伸(東京都立大学)
この原稿はネット・インタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです

博士論文賞おめでとうございます。「首都圏の民間による集合住宅供給における住環境価値の商品化と立地地域の変容」という論文ですね。まずはどのようなキャリアを歩んでこられたのか教えてください。

研究者として長いキャリアがあるわけではないのですが、都市計画や都市論を専門にしており、そのうち都市論を大事にしています。
もともと画家を志望していました。理系の受験勉強の合間に絵を描いていたら、やっぱり絵を描きたいなとなり、建築学科に進学することにしました。最初は建築家になりたいと思っていたのですが、大学で出される課題に対して、例えば美術館の設計課題なのに、美術館の展示内容を考えてしまうなど、違うことを始めてしまうような学生で、建物が建つまでの構想が楽しいと思うようになり、早稲田大学の後藤春彦先生の研究室に入りました。

吉江俊氏

研究室に入ってすぐ、後藤先生と関わりの深い宮城県の加美町のプロジェクト(協働のまちづくり推進課からの依頼で、3町が合併したばかりの加美町で景観をたよりにしたコミュニティプランをつくる仕事)に関わりました【図1】。

写真1

図1 宮城県加美町の風景/奥に見えているのが薬萊山

学部から博士までの5年間携わったのですが、最初は「オーラルヒストリー調査(口述による生活史の聴き取り)」を100人の人に1時間半ずつやるところからプロジェクトがスタートしました。ご自宅にお邪魔してひたすら話を聴き、地図を使ったり家の周りを一緒に歩いたりして思い出のエピソードを集めるというもので、最初は東北の高齢の方のなまりにびっくりしたのを覚えています。この調査は『加美町 記憶の口述史』という本に編纂して、住民の方にお配りしました。その後はワークショップをやったり、景観調査をしたりで、団体自治に対する住民自治を育てるということでコミュニティ計画をつくったり、まちの拠点となるコミュニティレストランや特産市を設計したり、その運営組織をつくったりしていました【図2】。
一方でまちづくりのプロジェクトだけをやってきたわけではなく、それと並行して卒業論文、修士論文、博士論文では都心の研究をしていました。特に消費社会論に興味をもっていたので、民間が都市開発に乗り出したあとの都市の変容をどう描くのか、何をよしとするのかに興味をもって研究してきました。プロジェクトとして関わっていることと、個人の研究関心が全然違ったので、都市計画の研究を初めて最初の7年間は、その折り合いをどうつけるかという悩みの期間でした。

写真2

図2 竣工した加美町・宮崎地区の特産市兼コミュニティレストラン

博士論文のテーマにはどういうきっかけで注目したのですか?

3年生の時の石山修武先生の設計課題が「死について考える」というようなもので、世田谷区の九品仏のお墓が敷地でした。その周辺を歩いていたら、「ショートケーキハウス」と呼ばれるような、パステル調の外車が停まっているような洋風の住宅がたくさんあり、そこに興味を持ったことがきっかけです。その課題では「郊外の共同幻想」に注目して設計を進めました。研究室に入ってから、エドワード・レルフの「ディズニフィケーション」などの用語を知り、消費社会論にのめり込んでいきました。
卒業論文は渋谷について書き、その後の渋谷も継続的に見ています。卒論を書いた当時は、主体性の消費、自由であることの消費のようなことを考えていました。例えばテーマパークの比喩で言えば、ディズニーランドに替わって当時キッザニアがでてきたわけですが、キッザニアは、自分の子供を親御さんが控え室から見守るようなテーマパークです。つまり、「没入するテーマパーク」から北田暁大が言うような「舞台裏のテーマパーク」となり、そのあとは「仕掛け人を楽しむテーマパーク」へ変化していった、ということを渋谷という街の変化と対応させて論じました。

博士論文はどういうテーマだったのですか?

はじめは消費社会論のスリリングな議論に興味があったわけですが、博士課程の時には、都市計画学の中で民間開発を扱うことが少ない、という問題意識を持っていました。国や自治体の都市計画と市民のまちづくりはありましたが、民間の都市開発は大学では研究しない。とはいえ、多くの人が大学や大学院を卒業して民間に就職するわけです。大学では扱わない、あるいは悪いものとして論じられがちな民間企業にみなが就職するということはねじれていますよね。民間企業が住宅供給を肩代わりをするようになって、3-40年ほどしか経っていませんが、そこにどういうことがあったのか、それを中心に据えて論じたいと思いました。従来の都市計画だと、民間からこぼれたところのセーフティネットの話や、民間の活動をどう規制していくのかというような、外側のフレーミングの議論は多かったのですが、真ん中の議論、商品住宅の普及に対応して、生活の変化とともに僕らの生のリアリティがどう変貌したのかを描きたかったのです。渋谷のような繁華街で消費社会論を論じるのではなく、消費社会論を分譲マンションや戸建て住宅のような住宅を対象に論じたい、なぜ住宅がこうなってしまったのかを論じたいと考えました。博士論文では都市化を二段階に、第一の都市化は国の都市化、第二の都市化は民間の都市化と分けています。そして80-90年代以降の第二の都市化を、これは石川初先生が、かつて生活学会でコメント下さったことですが、「マテリアルとイメージの葛藤の都市化」というふうに捉えて論じていきました。

住宅政策の研究の流れに位置づく研究なのでしょうか?

住宅政策でホットな話題は、標準設計の住宅や団地が、どういうふうに現れてきたのか、ということですよね。それを近代家族像と結びつけたり、ジェンダーの問題と結びつけたりする。住宅の標準化を見ることが、日本の近代化を素描する切り口だったわけです。その50年後、今ある普通のマンションがどういうふうにできているのかを論じている人が意外と少ない。住宅に限らず現代は「多様化の時代」と一言でまとめられてしまうわけですが、それを研究しているということです。様々な分野で通史を整理されている先生がいますが、大抵、20世紀後半からは「多様化の時代」ということになっています。そこから先を担う人が、これから出てくるんだと思います。

生活学との関係はどう考えていますか?

僕は博士論文を書いているときに「空間言論ゼミ」というゼミ(毎週街を歩いたりディスカッションを行ったりしながら、卒業論文や修士論文を指導する10数名からなるグループ)を開きました。そこで都市論をやりたかったのですが、上の世代の人たちにその意義が伝わらず、計画に直接つながらない、何の役に立つのか、と言われることが結構多くありました。
僕は都市を、国家と個人のあいだにあるものと考えています。最近ツイッターなどでは、点の経験が重要視され、「こんな嫌なことがあった」ということがすぐさま「〇〇人が悪い」となるように、「自分の経験」と「国家」しかない、となっていますよね。少し前から情報系の専門家(落合陽一など)が国家戦略を打ち出すということがありますが、そこには都市のことが書かれておらず、個人と国家しかないわけです。そのなかでは国家とは観念的にしか論じられないものですが、都市は顔が見える範囲の具体性を持ちつつ、国家のことも個人の生活のことも議論できる、ちょうどいい領域だと思います。パッツィー・ヒーリーが「デモクラシーの訓練としての都市計画」と言っていますが、具体的な都市を論じることが民主主義を育てるということです。都市を論じることが国家のことにも個人のことにもなる、現実に生じている実態をただ示すのではなく、逆に抽象化してもはや何を言っているのかわからないポストモダンの議論でもないような、中程度の、ちょうどいい塩梅の抽象性を持った議論ができるといいと思っています。
今ちょうど吉阪隆正の展覧会(東京都現代美術館『吉阪隆正展』)を企画しており、吉阪の都市計画について当時携わった方々にヒアリングをしているのですが。吉阪はもともと都市計画家ではないので、大きくなってしまったメガロポリスに対して、個人の存在がふっとんでしまっていることを気にしているんですね。建築の設計をしているときは個人に寄り添っていたのだと思うのですが、都市計画はそういうふうにできない。個人の世界と都市のスケールで計画することは、まったく交わらないんです。それをどう克服し、止揚するかが、彼が言う「不連続統一体」の議論で、魚眼図でまちの地図を書き、計画を説明する取り組みでチャレンジしていたことだと思います。どんな人にとっても世界の中心は自分と自分の住んでいるところであるという信念で、それを魚眼図というかたちで、人に合わせて何枚も描くわけです。そうやって、その人からはまちの姿がどう見えるのかを示そうとした。吉阪の悩みは都市計画だけをやっていた人には無い悩みで、個人の世界と都市の計画とのあいだの関係をどうしようかと悩まれていたと思います【図3】。

写真3

図3 吉阪隆正の魚眼図/仙台の計画にて(出典:早稲田大学吉阪研究室+仙台デベロッパー委員会「杜の都仙台のすがたその将来像を計画する」、1973年9月)

社会学でも、質的なアプローチをとる人と量的なアプローチをとる人とで、全然違う世界観なわけです。岸政彦さんはオーラルヒストリーを集めていきますが、まとめるということを絶対にやらない、繊細に読むがひとつの結論もなく、ああいう表現の仕方しかないんだと思います。ですが、これに共感した人が都市計画をできるかというと難しい。
研究室のプロジェクトで気にしていたのは、まちの人たちをやる気にさせて、実務としては若い人たちを巻き込んで状況を動かしたいわけですが、若い人たちに地元に残ってほしいなんて、自由に移動している自分からは言えないわけです。まちづくりで目指す「計画」と、僕が寄り添いたいということが、どうしても交わらないわけです。そこが都市論をやっている博士研究と、実務としてのプロジェクトの葛藤があるところで、それが生活学的な葛藤、吉阪が悩んでいたことと近いんじゃないかと思っています。

その葛藤はどのように持ち続けられるのですか? それは解消できないですよね

その葛藤を表現したかったので、今回の博士論文もその葛藤を表現する構成にしました。一方で、博士研究が終わったあたりから、まちづくりのプロジェクトにおいて「再帰性」という概念を使うようになりました。アンソニー・ギデンズやスコット・ラッシュがよく使う社会学の概念ですが、僕はそれを少し変形させて「人が自分の人生の窮屈さを認識し、選択肢をより自由に考えられるようにする能力のこと」と定義しています。再帰性は環境に左右され、環境が人々の再帰性を高めたり低めたりしているわけですが、僕はまちづくりの目標は、地域の再帰性を高めることだと考えています。人を拘束するのではなく、再帰性を高めるにはどうしたらいいのか、例えばコミュニティレストランをつくった時に、完成した時にみなが集まってきました。その時に「こんな何もない町でも、意外に世界ってかわるんだな」というような感覚を、風景を介して伝えることができると思いました。そういうもののために計画があると考えれば、都市計画やまちづくりの持つ特有の強引さが解消できるのではないかと思います。

そのことを研究室の学生にはどう伝えることができるのでしょうか。

計画と人びとの人生の葛藤を内包する都市論という独特な領域の重要性ということで言えば、自分のゼミも、7年目になって成熟してきました。卒論や修論のテーマも、従来の都市計画の研究室では行えないようなすごいものになっていますが、徐々に評価していただいています。例えば、様々なマイノリティが自分たちで集まって共同できるような都市の匿名性の作用が、どれくらいの人口規模であれば働くのかとか、都心の人びとが暮らしの中でもっている小さな偏見がどういう生きづらさを形成しているのかとか、最近ではヒアリングのなかでまったく「使えない」ような、位置づけ不明なエピソードを拾い集めて、そこにこそ研究者が捨ててきた価値が宿っているのではないか、と捉えなおすものもあります。こういう研究を進めていって、重要性を人に伝えにくいテーマだからこそ、成果をビジュアライゼーションしたり、言葉を自分で発明して伝えていこう、といったことを教えています。最近は、自分のゼミを卒業した人たちに卒業後の話を聞きます。意外に高評価をくれる人もいたり、大学だけでなく、会社の中でも同じような議論をしているという人もいます。ゼミの5周年で『空間言論ゼミ その理論と手法』という本(これまでの46編の論文を「9つの都市論」にまとめたもの)を作ったことがあって、都市計画という面では本当に役にたたない本なのですが、これもいろいろな人から引き合いがあったりします【図4】。大きな回り道をしているわけですが、それが実際に何かしらを計画している人たちから求められていることが最近分かってきて、学生達にも僕自身にも、説得力やモチベーションが増してきました。

写真4

図4 ゼミの5年分の研究成果『空間言論ゼミ その理論と手法』

生活学会の学会員、特に若い学生に一言お願いします

博士論文を今書いている人は、自分の味方を自分で見つけるといいと思います。それをなるべく広く、遠くから見つけた方がいい。僕は研究を始めた頃、自分のすぐ近くには研究に共感してくれる方はいませんでしたが、それは自分の考えや信念に価値がないということではありません。意外な遠くに味方がいることがあり、そういう人びとが味方になってくれて褒められたりすると、そのうちに近くからも興味を持ってもらえるようになります。そういう人を見つける場のひとつが生活学会のような場だと思います。細分化した建築学会や都市計画学会ではできない、生活学会は不思議なコミュニティですよね。

ありがとうございました。

(インタビュー日 2021年8月3日)


インタビューを終えて(インタビュアーの一言)

石川:6年前、卒業生でもないのになぜか早稲田大学の建築学科の卒業設計・修士設計・修士論文講評会にお邪魔して大隈講堂の2階席から傍聴していました。吉江さんの修士論文の発表を聞いて「マンションポエム(マンションの販売広告に添えられる独特のキャッチコピー)の修論!」と興奮したのを憶えています(twitterにその時の投稿が残っていました)。吉江さんの修論は早苗賞(優秀修士論文賞)を受賞されていました。その後、生活学会で何度か発表を聞く機会があったり、ひょんなことから非常勤講師としてお手伝いした早稲田の大学院の授業でTAをして頂いたりと、いろいろとご縁があり続けています。今回お話を伺って、個別の生の切実さと都市論との折り合いのつかなさに挑んでいる様子にあらためてまた共感した次第です。書籍として出版してほしい。それ読みたい。と思っています。

「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。