現代ヒマーラヤ世界におけるチベット医学と多重の身体
長岡慶氏(日本学術振興会特別研究員・関西大学)
インタビューアー 笠井賢紀(慶應義塾大学)、土居浩(ものつくり大学)、饗庭伸(東京都立大学)
この原稿はネット・インタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです
長岡さんご自身の研究フィールドとキャリアをご紹介ください。
専門は医療人類学と南アジア地域研究です。そのなかでも、ヒマーラヤ地域の伝統医療について研究してきました。そもそものはじまりは大学の学部時代で、早稲田大学の教育学部社会科地理歴史専修というところで歴史学や地理学、人類学を勉強していました。一番関心があったのは、「暮らし」のなかの自然と人間の関係です。なので、大学の後半は、自然地理学と文化人類学の二つのゼミで勉強しました。自然地理学のゼミは理系寄りで、地形学や地質学をベースに源流から川を辿って海まで巡検に行ったり、テレビ番組の「ブラタモリ」でやっているような地層の観察といったことをしていました。文化人類学のゼミでは余語琢磨先生の指導のもと、富山の薬売りについて研究しました。先生の助言をもあって、まずは日本でしっかりとフィールドワークをしようと考えたわけです。富山の薬売りは、江戸時代に薬草から薬をつくり、全国をまわって薬を売っていたのですが、現在はどうなっているのだろうかと。それが知りたくて、富山に通って卒業論文を書きました。そして、伝統医療に関心が広がり、京都大学のアジア・アフリカ地域研究研究科に進学し、ヒマーラヤ山脈の人々の暮らしと伝統医療について現在まで研究を続けています。2019年3月に博士号を取得して、現在は日本学術振興会の特別研究員です。
どういうきっかけで富山からネパールに飛んだのですか?
よく間違えられるのですが(笑)、私の対象地はネパールではなくインドのヒマーラヤ地域なんですよ。調査地はインド北東部のタワンという場所です。日本では、ヒマーラヤというとネパールのイメージが強いですが、ヒマーラヤはすごく長くて、パキスタンからインド、ネパール、ブータン、チベットの一部にわたっています。サンスクリット語でヒマは雪、アラヤは住処を意味して、ヒマーラヤというわけです。もともと自然地理学を勉強していたということもあり、ヒマーラヤ山脈という山とそこに暮らす人々の文化に関心があったので、大学3年生の時に個人旅行でインドへ渡航し、山を見に行きました。そこで初めてチベット医学を実際に目にしました。チベット医学は、チベット文化圏に12世紀頃からある伝統医学で、そのお医者さんや医学生さんと現地で知り合って、一緒に山に登って薬草を採ったりしました。その経験が強く印象に残って、この薬草を使ってどういう病気を治療するんだろうか、生活のなかでチベット医学はどういう位置づけにあるんだろうという関心につながっていきました。
大学院ではどういったことを学んだのでしょうか?
アジア・アフリカ地域研究研究科は、いろんなディシプリンの学生や先生が集まっているところですが、とにかくフィールドに行ってまず言語を覚えなさいということが共通していました。私も前期課程(修士課程)の1、2年ほどはインドで語学の勉強に費やしました。また、文化人類学だけでなく農学や植物学など様々なディシプリンの先生方からフィールドワークの方法が学べたこともよかったです。
博士論文賞を受賞された「現代ヒマーラヤ世界におけるチベット医学の制度化と病気治療-インド北東部タワンの暮らしと病いの民族誌-」について、研究の概要や成果をご紹介ください。
現代におけるヒマーラヤ地域の伝統医療と日常の暮らしの関わりが博士論文の研究テーマです。インドでは、チベット医学は制度化されていて各地に診療所があって、薬は工場で生産されています。調査地では、そのように現代化したチベット医学も含めて複数の医療が実践されていて、それぞれに異なった身体観に基づいた治療が行われています。その身体観と人びとの病気の経験や暮らしとの関わりがどうなっているんだろうということを細かく見ていきました。
みなさんにとって、伝統医療は近代化によって失われつつある医療というイメージが強いかと思いますが、現在の研究では、むしろ伝統医療の再構築や拡大に焦点が当てられています。なぜ、再構築や拡大が進んでいるのかというと、一つはナショナリズムの高まりがあります。いろいろな国や地域で伝統医療は自分たちの文化だ、アイデンティティだとシンボルや政治的装置になって再構築されていくという動きがあって、伝統医療の専門組織や大学ができています。もう一つは、グローバル化の拡大です。健康や美容についての人々の関心が高まり、伝統医療が商品化していくという動きがあります。マッサージやハーブ製品になって、グローバルに流通していくということですね。このように、伝統医療研究は活発化しているのですが、その多くはナショナリズムやグローバル化という大きなレベルの話はいろいろしていますが、現代の暮らしの状況に位置づけて、様々な医療を利用する一般の人々の視点や、病に苦しんで切実にそれを使う人々の身体との関わりについてのミクロなレベルの話はまだまだ議論が十分にされていません。チベット医学も現在拡大しているのですが、現地の生活レベルからとらえなおしてみると、調査地の人々は「ナツァ」「ヌパ」「ドー」という3つの観念で病をとらえていて、そのうちのナツァに対応する医療として、近代医療とチベット医学を併用していました。一方で、ヌパとドーには別の民間医療が使われます。ヌパは神霊の憑依や祟りによる病と考えられているもので、例えば、ある土地に道路や建物がつくられることに対して神霊が怒って病気にした、あるいは道路建設によって病気が増えていると語られます。でも逆に、神霊とインフラが共存していると言われている空間もあったりもして、土地の神霊と人間の多様な結びつきのなかでヌパという病が経験されています。一方、ドーは、特定の人物から食べ物に毒を盛られることでなってしまう病気をいい、近代医学やチベット医学では治すことができないといわれています。このように、生活から医療をとらえていくと、病気をめぐる医療の知識体系や理論とは異なる世界が広がっています。生活者にとっては医療の知識体系より、ナツァ、ヌパ、ドーの3つの病の世界がリアルであって、そこに複数の医療がからまりあっている状況があるということがわかりました。人々の身体のありかたを考えるうえで参考にしたのは、医療人類学者アネマリー・モルの「実行」という概念です。彼女は、身体を単一のものではなく、様々なモノと人間の実践の関わりのなかで実行される「複数のバージョン」としてとらえています。それによって彼女は病院のなかの身体を議論しているのですが、私の研究では実行概念を病院の身体から生活世界の身体の議論に応用し、現地の病気経験や薬の作用、神霊との関係のなかで生じる複数の重なり合うバージョンとして身体のありかたを論じました。単純な伝統医療と近代医療の比較論ではなく、現代的な変化を踏まえながら、生活における複数の医療と身体とが絡まり合う関係を明らかにしたのが私の研究になります。
複数の身体とは、具体的にはどういうものなのでしょうか?
まず、チベット医学の知識体系では、3つのエネルギーのバランスでとらえる身体観があります。アーユルヴェーダとほとんど同じ理論ですが、ルン(風の要素)、ティーパ(火の要素)、ベーケン(水と土の要素)というエネルギーが身体にあって、それらのバランスのいい状態を健康、バランスが崩れている状態を病気ととらえます。これまでのチベット医学研究は、このようなバランス的身体を前提に議論してきたのですが、現地の生活世界に入り込んでみると、バランス的身体は実際にはあまり語られず、前面に出てきません。ナツァの経験の場合には、バランス的身体よりも「多層的な身体」が立ち現れていて、多層的とは古いナツァの層と新しいナツァの層が重なっている状態です。ナツァのときには近代医学とチベット医学を併用しても問題ないとされているのですが、その背景には身体の表層にある新しいナツァを近代医学で素早く治し、身体の奥底にある古いナツァはチベット医学で時間をかけて治していくという考え方があります。しかし、ヌパの経験の場合には、このような多層的な身体は立ち現れてきません。身体に神霊が入ってきたり、不浄や障りが入ったりして病気になる「不確かな器としての身体」が立ち現れ、それに対する治療が行われます。さらに、ヌパのなかでも悪霊の憑依ではなく竜神の祟りによる病気のときは、土地と竜神が穢れて、人間も穢れるという、「環境や竜神と同化する身体」が立ち現れます。一方、ドーの経験の場合、今まで話してきたような身体はいずれも出てきません。ドーは、家系で毒を盛る技術を継承するとされる特定の女性が目や爪の隙間から食べ物に毒を盛るという一種の妖術によっておこる病気で、人々の言説や民間薬との関わりのなかで他者から「毒を盛られる身体」が立ち現れます。ドーを治療する民間薬は村の薬師によって手作りされているもので、多種多様なヒマーラヤの薬草が使われています。その民間薬は強力な作用をもっていて、服用すると強烈な下痢と嘔吐が生じ、それによって体から物質的に毒を出します。博士論文では、これら複数の身体について、ばらばらに併存しているのではなく、部分的に重なり合った多重的な状況にあるということを論じました。
現地の方々は、体に不調を感じたりしたら、これはナツァだな、とかこれはヌパだな、というふうに自覚するものなのですか?
確信ではなく、想定する、仮定するという感じです。人々の生活の身近なところに様々な薬草や伝統薬、治療者たちがいます。ちょっと調子が悪い時、最初は薬草でつくられた宗教薬を飲みます。宗教薬はチベット仏教の僧院でつくられている加持祈祷が込められた薬で、多くの種類があります。予防薬の役割を果たしていて簡単な風邪はそれで対処されます。それでも治らない時、状況に応じて、頭痛や腹痛など長く続く不調であったらナツァではないかと考えてチベット薬を使ったり、急激な痛みをともなう病気だったらドーではないかと考えて民間薬を使ったり、あるいは、皮膚が腫れて赤くなったりしたら竜神の祟りによるヌパではないかと考えて、ビャクシンなど香木の葉を焚いて土地の浄化儀礼をします。このように、ある程度のパターンがあって人とモノの関係のなかで対処が方向づけられていきます。仮定のなかで対処していき上手くいったとき、そういう身体として立ち現れるということです。
体の不調を感じた時に、現地の方々はどうやってこれらの医療とつながっていくのですか?
人々の周りには、密教行者、言い換えれば「村のお坊さん」がたくさんいます。彼らも病気を治療する専門家で、普段は村の儀礼を司り、尊敬された存在です。村の人たちは困った時、村のお坊さんにいろいろな相談をします。そこで、病院に行っても治らない、チベット医学でも治らないと相談をすると、ヌパかもしれない、ドーかもしれない、と医療の道案内の役割もしたりしています。でも、村のお坊さんだけでなくて、病院の医者もチベット医学の伝統医も他の治療者を紹介することがあります。それに、人間だけでなく、身近な薬草や薬との関わりも特定の医療とつながっていく重要な要素です。ですので、人々をそれぞれの医療につなげる特別な専門家がいるということではなく、村のお坊さんや、それぞれの医療の治療者たち、そして様々な薬が互いを案内し合って、緩やかに連携しているということです。
ご自身の研究と生活学との関わりをどのように考えていらっしゃいますか?
人間の生老病死を、日常生活の文脈で考えていくことはとても重要なことだと思います。医療の議論はどうしても専門家の領域として捉えられがちですが、人間の暮らしの営みと医療の関わりをもう一度問い直すことが必要ではないかと考えています。私の研究のスタートは、卒業論文での富山の薬売りの調査でした。平均年齢が70歳代の薬売りの方々と一緒に、彼らが50年以上も付き合っているような家々を訪問して長年の信頼関係のなかで交わされる健康についての話や病気の悩みや家族についての話などを間近に見させていただいたという経験があります。その時に、これはとても重要じゃないかと思いました。博士論文の研究ではヒマーラヤを対象にしましたが、日本でも地域医療や在宅介護など医療と生活は密接に関わっていて切り離して考えてはならないことだと思っています。慢性疾患が増え、なかなか治らない病気を抱えて10年や20年を過ごすということが現在では普通のことになってきています。病院のなかでの医療の議論ももちろん重要ですが、それだけでなく、日本においても世界においても生活とその身近にある医療との関わりについてもっと議論していく必要があるのではないでしょうか。
一般向けのワークショップもされていらっしゃいますよね。
はい。アカデミックな発表だけでなく、一般向けのワークショップなどもときどきしています。昨年は、薬草大学NORM(市民大学講座)の企画でおしゃれな古民家カフェの座敷で、ヒマーラヤの薬草文化についてワークショップをやらせていただきました。自然観察指導員というボランティアもやっていて、子どもや大人の方々と一緒に森へ出かけて自然観察会もしたりしています。アカデミズムの一つの世界だけでなく、一般の人と触れ合える場にも居ることは、生活学として自分の研究を考えていくうえで重要な学びになっています。大学時、ゼミやサークルを通して、自分の目で見て触って、感じながら勉強するということをずっとしてきたということもあって「体験から学ぶ」ということを大切にしています。ヒマーラヤの薬草文化についてのワークショップのときは、バター茶をみんなで作ったのですが、みなさんの反応がすごくよくて、いろいろな質問をくれて私自身、発見がありました。やっぱり体験から学ぶということは大切なことだなと改めて実感しましたね。これからも、どんどん野に出て、いろいろな人とふれあっていきたいです。いま新型コロナウィルスのパンデミックで、フィールドワークもワークショップもなかなか難しい状況になっていて困っていますが、それでもオンラインを活用するなどしてやれることをやっていこうと思います。
これからのご予定について教えて下さい。
自然と医療と生活を行き来するような研究を続けていきたいですね。とくにいま関心をもっていて、研究を始めているのはヒマーラヤの薬草のサプライチェーンについてです。サプライチェーンは、いまの日本や世界の暮らしを支えている経済のありかたですが、車にせよ、スマートフォンにせよ、いろいろな国でいろいろな部品がつくられて、すごく長いチェーンを辿ってわたしたちの生活の中にやってきています。アナ・ツィンという人類学者が「マツタケ」という本を出版したのですが、その本は日本でだけ高い価値のある松茸が、北欧やアメリカ、中国の森で採取されていて、いろいろな仲介業者を辿って日本にやってくるまでを追いかけたエスノグラフィーで、とても刺激を受けました。薬も同じ様にサプライチェーンがあります。ヒマーラヤの植物の場合、チベット医学やアーユルヴェーダといった伝統医療で薬の大量生産に使われていますが、それだけでなく近代医療においても糖尿病や高血圧、自律神経失調症、一部の癌などに効果があるとされて薬剤開発に使われています。植物に注目することで、「伝統」対「近代」ではなくて、植物のサプライチェーンに巻き込まれていく複数の医療や、様々な人々の生活の変化を見ていきたいと考えています。
生活学会会員や、広く社会に対してアピールしたいことがあればお願いします。
生活学会の会員の皆さんは、フィールドワークをしている方が多いのではないかなと思います。生活世界は豊かな意味やモノにあふれていて、頭のなかだけで議論を組み立ててもその通りにいくことはほとんどないくらいに複雑です。生活学を「する」ことは、研究するテーマの世界のなかで暮らしている人々の視点や考え方、行動に寄り添う営みです。どの分野であっても、研究を続けているとどうしても理論や概念で頭がいっぱいになりがちですが、そういう時こそフィールドでいろいろな人と話しながら現場に立ち返って研究をみつめなおすということが必要ではないかなと思います。それと、もう一つは、人間の生老病死は、人ぞれぞれの生活世界によっていろいろなあり方があります。人間の生の多様性を社会に示していくうえで、生活学のなかでも日常と医療に関わる研究や議論がもっと増えるといいなと思いますね。
ありがとうございました。
(インタビュー日 2020年9月7日)
インタビューを終えて(インタビュアーの一言)
長岡さんの研究キャリアとして地理学畑から民族学・文化人類学への流れは、川喜田二郎・佐々木高明のビッグネームを連想しました。なのでつい、あぁ長岡さんもそうなのかな、と早合点しましたが、研究とはまた別に取り組む自然観察指導員ボランティアなどの話をうかがい、生活学的な展開として、とても示唆を受けました。専門の「生活と医療」については、たとえば「憑依を肯定する社会」として沖縄を考察された塩月亮子氏(現・副会長)との議論を聞いてみたいところです。(土居)
複数の身体観というのは私自身の日常にはない感覚なので、「理解した」と言ってよいのかどうか心許ない。
ただ、そこは現地で日常の暮らしに肉薄していた人類学者のなせる業か、長岡さんのお話をうかがっていると、自分の感覚にはないことなのに「そういう複数の身体観なるものがありうるのだ」ということを、理解した気にはなれた。
すると同時に、私自身にも実は複数の身体観があるのかもしれず、しかもそれに気づいていない、あるいは言語化できていないだけなのかもしれないと思い至る。
日常の生活をつぶさに見ることの醍醐味、おもしろさを感じさせるお話に感銘をうけた。(笠井)
「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。