北欧と日本、実践と研究の間から見えてくる “自分ごと” の探究
森下詩子氏(東京大学大学院学際情報学府修士課程/kinologue主宰/クリーニングデイ・ジャパン事務局代表*)
インタビューアー 真鍋陸太郎(東京大学)、笠井賢紀(龍谷大学)、饗庭伸(首都大学東京)
この原稿はネット・インタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです
まずは森下さんの研究フィールドとキャリアをご紹介ください。
研究といっても、今、修士2年なので研究者と言えるのか?というレベルですが、研究のフィールドはメディア論です。2017年4月から東京大学大学院学際情報学府の水越研究室(メディア論)に所属しています。修士課程は2回目で、以前は社会学で学部のすぐ後に修士へ行きました。
ここ1年やってきて思うのは、1度目の修士課程であった社会学が自分のアカデミックなベースにあるということです。前の大学院を修了してから、ほぼずっと映画配給の仕事をしてきました。2014年からフリーランスでやっています。新卒で映画業界に入った時からのことを考えると、ずっと同じ仕事をしているようで、内容が大きく変化しています。浮き沈みの激しいこの仕事を、20年近く続けていることも奇跡的だと思います。
いまの指導教員の水越先生から、先生の『5: Designing Media Economy』という雑誌の記事(を依頼されたのをきっかけに、自分がずっとやってきた映画配給の仕事をメディア論的に振り返ることができるのではないか、「今、そういうタイミングかもしれないな」と思いました。日本では、映画配給はアカデミックな研究の対象に殆どなっていないので、チャレンジしたいと思い研究を始めました。
2009年に最初は旅行気分でフィンランドに行き、それからほぼ毎年通っていて、今となっては第2の故郷です。当時、働いていた会社の親会社の方針でITの会社と合併したので、映画配給から離れることになりました。映画配給は過酷な仕事で長い休みを取れることが滅多にありませんでしたから、この機会に、3週間の休みをとってフィンランドに行ったというのが大きな転機です。
その後、3.11の震災があって、ITの会社をやめて、2012年に3カ月程、フィンランドに滞在し、第2の故郷となったフィンランドと「何かできないかな」と考えました。翌年「かもめ食堂で『かもめ食堂』を上映するワークショップ」をするために再びフィンランドに行った時に、フィンランド人に1本の映画を紹介されました。それまでは会社が買ってきた映画を宣伝するのが仕事だったので、映画の買付をやったことがありませんでしたが、運命的に出会ったその映画を初めて自分で買い付け、配給することを決め、『365日のシンプルライフ』という邦題をつけて、1年後に劇場公開しました。
その映画は自分のモノについて考える映画でした。モノについて考えたら、自分がアクションできる機会があれば、映画は観るだけでなく、「自分ごと」になると思いました。20年近く、「映画を観てください!」というのが仕事でしたが、ただ観てくださいと言い続けることに、正直飽きていました。お客さんにとって映画を観るとはどういうことなのかが気になってきて、kino(ドイツ語で映画)でdialogue(対話する)という意味の造語でkinologue(キノローグ)と名付けた、映画を観た後に対話したり、ものづくりをするワークショップ・プロジェクトを、2011年から始めました。そんな時に出会った『365日のシンプルライフ』は、kinologueにぴったりな、観るだけでは終わらない映画だったので、自然と配給の仕事に結びつきました。映画を観た後に、観た人の「自分ごと」になったら映画が映画以上のものになり、何かが変わるのではないか、と考えた時に、フィンランドで始まっていた「クリーニングデイ」を思い出しました。
第45回研究発表大会で発表された「『クリーニングデイ』という生活文化—北欧フィンランドのリサイクル文化を日本でアップサイクルするということー」について、研究の概要や成果をご紹介ください。
発表するにあたって、クリーニングデイをどういう風に自分が捉えているかを考え直しました。自分はクリーニングデイを日本に持ってきた実践者でもあるので、クリーニングデイそのものについての研究と、ちょっと引いてクリーニングデイで起こっていることを俯瞰的にみていくという二つのアプローチとがあります。
クリーニングデイはフィンランドで2012年5月に始まった、誰でもどこでもフリーマーケットを開ける日です。5月第4週と8月最終週の土曜日という、夏の短いフィンランドでは屋外で楽しめるぎりぎり離れた日程で開かれています。私がクリーニングデイを知ったのは、2012年にフィンランドに3か月いたときに、たまたま自分が借りていたアパートのオーナーの子どもたちが、家の前でクリーニングデイをやるという話を聞いたことです。最近流行っていると聞きましたが、そのときは大雨で見に行けませんでした。翌年フィンランドに行った時にはトラムにクリーニングデイの広告があって、活動が大きくなっていると認識しました。クリーニングデイは、YHTEISMAAというNPOの3人が始めました。『365日のシンプルライフ』の配給を決めた2013年11月頃、彼らに問い合わせ、映画と合わせて日本でやりたいと伝えたところ、すごく喜んでくれました。色んな面でサポートしてくれて、今でも年に1回は会って話をします。
クリーニングデイを知った時、モノを大事にするという文化と、外に出て地域の人たちとつながって楽しもうというイベントとしてのデザインが、すごく魅力的でした。フィンランドの人たちにもそれは響いたようで、活動を始めた彼ら自身の想定を超えて広がっていったそうです。クリーニングデイのサイトに登録すれば、自分の家でも公園でも道路でもどこでも、みんな誰もがフリーマーケットを開催して交流するというイベントとして、2014年にはフィンランド全土4,500か所で開かれるようになっていました。サイトの登録状況を見ていると、2018年5月で1,500から2,000くらいになったので、イベントとして定着したといえるのでしょう。
フィンランドには、モノを大事にする文化があると思います。セカンドハンドやフリーマーケットをよく利用するだけではなく、DIYで夏小屋を自分で建てたり、自分でモノを修理して長く使います。日本はアメリカナイズされて、修理するよりも安く買った方がいいのが日常です。そこから離れて、フィンランドに行くと、自分の手をつかってモノを循環させる文化はとても気持ちよく感じました。そして、このフィンランドの文化を伝えたい、日本に持っていきたいと思うようになりました。
ただ、モノを大事にする文化は日本にも元々あったのでは、とも思うのです。江戸時代では着物は雑巾にするまで使っていたといいます。フィンランド人に言われなくても、自分たちが持っている文化なのです。フィンランドという切り口で興味を持って貰い、元々ある日本の生活文化を取り戻す、という意味もクリーニングデイにはあると思っています。
2014年5月に、鎌倉で初めてクリーニングデイを開催しました。クリーニングデイを知ってもらうためのワークショップやトークイベントなどをやり、5月の次の8月のクリーニングデイを「あなたの街でも開催しませんか」と呼びかけました。映画の宣伝と合わせて情報を出していったので、メディアにも多く取り上げて貰いました。映画の上映もできるようにしたところ、開催希望があり、8月のクリーニングデイでは、全国20か所くらいで開催されました。
映画とセットになっていたクリーニングデイが、次の年にはどうなるかと心配していましたが、3回目となった2015年5月開催では映画から離れて一人歩きを始めました。
日本で開催するにあたって、クリーニングデイをフィンランドと同じようなフリーマーケットのイベントとするのではなく、「アップサイクル」というコンセプトを立てました。アップサイクルとは、モノを再利用するリユースやリサイクルだけでなく、モノに新しい価値や有用性を見出すことです。アップサイクルに興味を持って、クリーニングデイの趣旨に賛同してくれた全国の方々から、開催したいという問い合わせを思いがけなく多数いただきました。この3回目の開催の時に、フィンランドとは違う形でクリーニングデイが根づいていく可能性を感じました。そこから、ものすごく規模が大きくなることも小さくなることもなく、続いています。
日本でのクリーニングデイは今年5年目、8月25日の開催が10回目となりました。年2回、フィンランドと同時開催でだいたい全国20会場程、それ以外の時期もスピンオフとして開催可能としています。10回目を迎えてから、ますます活動の維持の正念場を感じています。実践コミュニティであり、コミュニティのプラットフォームとしてどうやって続けていけるのか。それが事務局としての課題であり、研究の対象でもあります。クリーニングデイがプラットフォームという認識は自分では持っていませんでしたが、クリーニングデイ大会議(オンライン+オフラインで開催者の報告や意見交換をする会議)で、「このプラットフォームはとても乗りやすかった」という話を青森の開催者さんにされて、プラットフォームになっていると自覚しました。
クリーニングデイは規模を大きくすることより継続することに意味があると思っています。クリーニングデイはフィンランドの自己責任の文化を踏襲して、セルフ・オーガナイズとしているので、開催者が自分のサイズで無理なく責任をもって開催することをモットーとしています。そのために一つ一つのクリーニングデイには、事務局はほぼノータッチです。「クリーニングデイをやりたいのですが、どうしたらいいですか?」と問い合わせがよくありますが、「アップサイクルということ以外に特にルールはありません」と答えています。自分で考えて責任を持って実行するセルフ・オーガナイズは、正解を求める日本人には苦手なことかもしれませんが、それもフィンランドの文化であり、自分で考えるからこそ継続につながっていくと思うので、その維持に努めています。
クリーニングデイを研究ではどうとりあげましたか?
発表では、研究のアプローチとして、北欧フィンランドと日本における循環型生活文化、実践コミュニティをつなぐプラットフォーム・デザインを挙げ、クリーニングデイの内容とイベントデザイン、これまでの活動歴、全国の開催者や開催事例について説明をしました。そして、フィンランドと日本の循環型生活文化をどのように接続していくか、実践コミュニティが協働するプラットフォームとしてのクリーニングデイの役割やデザインを研究の課題としてまとめました。
修士論文(映画配給のメディア論)とはどのような関係となりますか?
メディアとしての映画配給とクリーニングデイの実践は、自分の中ではすごくつながっているのですが、どうやって学術的につながっていることを示せるかというのがテーマです。最近になって、ピエール・ブルデューが主著『ディスタンクシオン』(1979)の中で示した「文化媒介者 (cultural intermediaries) 」という概念によって枠組みが見えてきました。文化媒介者とは、文化の生産と消費の間にいるので、映画の製作とオーディエンスの間にある配給はこれにあたります。文化に対して専門性をもち、正当性をつける文化媒介者は、ブルデューのいう「嗜好(taste)」を新しく作り出しオーディエンスに提供するような存在です。しかし、デジタル化以降のメディアやオーディエンスの変化によって、文化媒介者の専門性や正当性は揺らいでいます。ブルデューの「界(field)」の階級間象徴闘争の動機づけとなっている上昇志向ではない価値観が生まれてきており、文化媒介者の概念では説明がつかない事象が現れてきています。
ブルデューの概念を乗り越える議論の中に、コミュニケーションの媒(メディア)としての映画(そのメタメディアとしての映画配給)やクリーニングデイを捉えていくことができると考えています。文化の専門性や正当性とは関係ないが、自分たちの活動やコミュニティを活性化し、維持していくために映画やクリーニングデイを活用していく人たちを、これまでの配給やクリーニングデイの実践で見てきました。私はそのような人たちを「文化協働者(cultural collaborators)」と名付けています。彼らは、デジタル化以降に可視化されてきたと想定していますが、これまでの文化媒介者には無視されてきたような存在です。しかし、生まれ変わろうとする(生まれ変わらなければならない)文化媒介者と彼らと関わりが、文化を、生活を豊かにしていく一端になるということを、修論の中で論じていきたいと思っています。
では、生活学との関係は?
生活学会の会員になったばかりでわかっていないことも多いですが、実践と研究がパラレルにあることが大事なのではないでしょうか。実践で得られたことが、生活にどのように根づいていくのかというのを、研究として対象化して丁寧にみていくこと。それただみていくだけではなく、自分もやりながらみていくということが生活学の面白さではないかと思っています。
これからのご予定について教えて下さい
10回目のクリーニングデイを8月25日に開催し、次回が来年の5月なので、それまでに全国のクリーニングデイ開催者のコミュニティと共に、クリーニングデイの進化・深化を考えていきたいと思っています。広島の福山では、9月に初めて3つの商店街を巻き込んで開催する予定があり、新しい動きが出てきています。サステナブルな活動としていくために、どんな実践コミュニティが動いていて、どんなネットワークをつくることができるのか、実践研究としても継続していくつもりです。
今年は絶対に修論を書かなくてはいけません。そのために配給の仕事はお休みしていますが、これからイギリスとフィンランドに調査と仕事を兼ねて行きます。配給や劇場の関係者など映画の文化媒介者である人たちにインタビューをすることで、日本と比較しながら、これからの文化媒介者の概念を固めていこうと思っています。そして、来年配給できるような映画にも出会いたいですね。今回の研究を通じて、映画業界の人たちに改めて配給や業界の未来について話を聞く機会を得たことは、論文の素材になるだけでなく、価値のあることでした。それによって、自分にしかできない研究の方向性が見えてきたような気がしているので、研究者と実践者の二足の草鞋を履いていけるかどうか、決断の時でもありますね。
去年も映画を配給されたということで、映画+イベントというスタイルが「『365日のシンプルライフ』+クリーニングデイ」ではできたがそのあとは?
昨年『YARN人生を彩る糸』というアイスランド映画を配給しました。これは、「編み物は手芸にとどまらず、社会に開いたアートである」ことを表現する4組のアーティストのドキュメンタリーです。アーティストたちの力強さに、私自身すごく目が開かされました。クリーニングデイでモノづくりをする人たちとつながったこともあり、手を動かすことのできる人へのリスペクトが高まりました。そして、私と同じように日頃手を動かしていない人たちにとっても、映画が手を動かすきっかけになればと思いました。
12月の公開時には、映画を上映している劇場を編み包む「ニッティング・シネマ」というプロジェクトを立ち上げました。公開の1ヶ月前から編み包むための編み地をみんなで編むワークショップを開催し、ワークショップ参加者はもちろん、企画監修のアーティスト、無償提供してくれた糸の会社、専門学校の学生さんたちを含めて150人くらいが協力してくれたプロジェクトでした。その後も全国各地での映画上映に合わせて、劇場近くのニッターさんやアーティストが協力して劇場を盛り上げてくれましたし、劇場公開がほぼ終わった現在は、劇場のない地域で編み物ワークショップを絡めた上映イベントが開催されたり、映画のメッセージを「自分ごと」とした編み物の可能性を広げたい人たちが、自分たちの活動を広げるきっかけに映画を活用しています。これからのニットシーズンにまた動きがありそうで、楽しみにしています。
最後に、生活学会会員や広く社会に対してアピールしたいことがあればお願いします。
発表後に、「自分もコミュニティを運営しているがうまくいかない」とか、実践コミュニティやプラットフォームの話に興味を持って下さった方たちが声をかけて下さいました。実践的にコミュニティを運営している研究者の方たちとネットワークできればいいですね。実践すると同時に、ちょっと引いた研究者の目線で対象を見つめることは簡単なことではないので、年に1度の学会発表だけではなく、研究者として共有できる場があればと思います。
ありがとうございました。
(インタビュー実施日 2018年7月9日)
インタビューを終えて(インタビュアーの一言)
映画配給の経験から始まり、クリーニングデイという方法と出会ったという物語が興味深かったです。そして実践はクリーニングデイで終わることなく、学術の視点を経て「文化協働者」を概念抽出したことで、他のさまざまな方法を捉え直したり創り出したりできるのではないでしょうか。特に、文化協働者概念の立ち上がりによる、彼らと文化媒介者との緊張関係がどう展開するかが楽しみです。(笠井)
一つの大きな部屋に入って、同じ方向をみて、大きな映像を見る、映画を観るという経験は特別な経験として私たちの前にあります。映画を観て素直に感動したり、自分の考えを組み立て直したり。クリーニングデイの取り組みが、こういった特別な映画の時間から始まっていることがとても面白く思いました。色々なメディアが発達して、映画も相対的には制約の多い不自由なメディアになってしまったわけですが、その不自由さがその後のクリーニングデイの展開をどのように方向付けたのか、というようなことが知りたいなあと思いました。(饗庭)
フィンランドの文化・生活と深く関わっているところから出てきたクリーニングデイを日本へ持ち込んで、また日本の文化・生活と共鳴しあって展開していく様子がとても興味深いです。映画という映像(メディア)から、具体的な空間・生活のいろいろなモノ・コトへ結びつけていく森下さんの活動・研究に今後も注目したいです。(真鍋)
「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。