「「写真実践」から描き出してゆく、戦後の生活者の営みとその思想」
吉成哲平氏(大阪大学大学院人間科学研究科・博士後期課程)

インタビューアー 土居浩(ものつくり大学)、饗庭伸(東京都立大学)
この原稿はネット・インタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです

まずはご自身の研究フィールドをご紹介ください。

 専門は写真の実践研究、生活環境論、人間と自然の共生です。大阪大学大学院人間科学研究科で三好恵真子先生の環境行動学研究室に所属しています。私の研究室は「実践志向型地域研究」を掲げており、人間の生活の営みを見つめながら、土地々々の望ましい環境の在り方を学際的に討究しています。
 もともと高校のときには理系を志望していました。航空宇宙工学の方面に関心があり、いったん某大学の理工学部に進学したものの、一般教養科目で受講した文化人類学に関心が惹かれ、現在の大学へ入り直しました。入学当初は文化人類学や国際関係論の科目等も履修しつつ、授業以外では、たとえば奈良県十津川村で林業に携わってきた方々のライフヒストリーを調べたり、また、三好先生よりご縁を頂き、阪大の学生有志で大阪府能勢町の食育計画に携わったり、学部の様々な取り組みに関わらせて頂きました。

吉成哲平氏

写真1:卒論を基に刊行した拙著『写真家 星野道夫が問い続けた「人間と自然の関わり」』(大阪大学出版会)を令和3年度大阪大学入学式総長告辞でご紹介頂くにあたり、西尾章治郎総長(左)と面会させて頂いた場面

 三好研究室へ入ったのは、学部4年生でアラスカ大学への留学を終えてからです。もともと星野道夫さん(以下、星野)の作品が、英語の教科書の中で初めて出会った中学生の頃から好きでした。もちろん、人間と自然との関わりについても大切にしたいテーマだとは感じていましたが、どのように温めてゆくことが出来るのか、留学前はまだはっきりと自覚していたわけではありませんでした。留学後に阪大へ戻ってから、それまで私の中で無自覚だった「写真」と「人間と自然の関わり」をつなげるテーマを三好先生に引き出して頂き、戦後写真家たちが捉えた生活者の営みを巡る現在の研究へと伸ばして頂いています。それが卒業論文で取り組んだ、1970年代から90年代にかけて、アラスカで野生動物の営みを撮り続けた星野道夫(1952-1996)の「人間と自然の関わり」の全体像を描き出すという写真の実践研究です。

生活学プロジェクトでも取り組まれた「写真の実践研究」ですね。概要をご紹介ください。

 卒業論文で取り組み始めた「写真の実践研究」は、現在も続けていますので、まずは卒論についてご紹介します。卒論では、私自身のアラスカでの身体感覚を基に、星野が見つめ続けた「人間と自然の関わり」の内実を明らかにしました。よく知られていますように、星野は写真作品だけでなく、多くの著作を残しています。その撮影行を巡り、特に晩年にはアラスカ先住民の神話的な世界へと踏み出し、その過程で彼らの自然観へ接近していったと論じられることも多いのですが、私自身が星野の足跡を想い起こしながら現地で感じ取った実感を振り返ったとき、それは少し違うように感じました。つまり、それぞれの土地に生きるひとびとが、その多様な人生を通じ自然との関わり合いの中で暮らしを営んでいることを、星野はアラスカを越えて何か普遍的なものとして捉えようとしていたのではないかと強く感じたことが、この研究の起点となっています。
 特にアラスカでは、18世紀以降の西欧世界との接触を経て、先住民と自然との関わりが歴史的に周縁化され、その自然が人間と分断された形で捉えられてきました。そして、星野も当初は旅行者として、アラスカには手付かずの自然、未踏の原野が広がっていると捉えていました。ですが作品分析より、その後自らも一人の生活者としてアラスカに根を下ろし、人々と出会い、写真を撮り続ける中で、自然と人間を根源的に一つの生命として感じ取っていった深化が浮かび上がってきました。

南東アラスカ

写真2:留学の終わりに訪れた、南東アラスカにて(2017年12月撮影)

 このように卒業論文では、人間と自然とが分断されてきた状況を乗り越えると共に、私たちにとっても共有可能なものとしてその関わり合いを捉えた点にこそ、星野の思索の重要性があることを論じました。さらには、このように生命の全体性の回復を問い続けたその志は、例えば社会学者の鶴見和子や、あるいは人類学者の岩田慶治が取り組んだ、先駆的なアニミズム論にも通じる、領域横断的な重要性があると考えています。
 その一方で、卒業論文のときには、こうした経年的な思索の深化を描き出す際に、なぜ写真家であることが重要なのか、うまく説明できませんでした。そこで大学院への入学後、引き続き「それぞれの土地で実践し続ける写真家の横断的思索の深まりと、その体系化に関する研究」(2019年度生活学プロジェクト)へと取り組みました。これは具体的には、どのようなプロセスを経て写真家たちの思索が深まっていくのかを、写真集に加え、当時の新聞や雑誌記事等の多角的な資料分析より明らかにするものです。
 まず、写真史や写真論等の先行研究の精査より浮かび上がってきたのは、これまで個々の写真家の営みそのものが、特定の時代や社会状況、また写真表現の潮流の中に埋没する形で論じられてきた課題点です。例えば星野ですと「自然写真家」に括られ、1970年代以降の環境問題の顕在化といった文脈の中で、その作品が位置付けられてきました。しかしこのとき、それぞれの写真家が撮り続ける行為を通じて、暮らしや自然との関わりを見つめる中で、その胸中をどのように深めていったのかが見過ごされてしまう危険があります。
 加えて、既存研究では写真家個人ではなく、あくまでその作品が中心的な議論の俎上へと載せられてきたことも注視する必要があります。例えば、「戦後写真の巨人」と呼ばれ、戦後日本を半世紀以上にわたり見つめた東松照明(1930-2012)の、長崎の被爆者をめぐる作品については、被爆者のケロイドに光が当てられた写真と、木々の間から光が差し込んでくるような写真が作品上で隣同士に配置され、それらが鑑賞者へと喚起する、原爆のさく裂した瞬間の光や、その傷跡等の象徴的なイメージが論じられています。ですが私が注目したいのは、東松が一人の写真家として、どのように被爆者と関係を結びながら撮り続けていったのかということです。特にこのとき、東松が被爆者を撮ることにためらいを抱えつつも、それでも後世に向けて写真によって出来ることはないかという自問の中で、繰り返し長崎を訪れていくプロセスがあったことは見過ごせません。こうした、撮影行為を介することで深化してゆく写真家たちの胸中へとアプローチする新しい方法論として、「写真実践」を位置付けました。この方法論は、卒業論文をベースにした『写真家 星野道夫が問い続けた「人間と自然の関わり」』(三好恵真子監修/大阪大学出版会/2021年刊行)をまとめる中で、星野と東松、さらには東日本大震災以降の東北を見つめる畠山直哉といった、これまで私が作品を通じて接してきた写真家たちの経年的な撮影活動より体系化を試みています。
 先日、学内のブックトークイベントで本書を取り上げて頂いたのですが、その時に「最近は、シャッターを押すのを気にしないスマホのように、写真家ではない多くの人が日常的に写真を撮ったり見返したりしていますが、ここで言う「写真実践」との違いは何でしょう?」との質問がありました。今はまだ上手く答えられないのですが、やはり気軽に撮影するスマホとは異なる何かがあると感じています。私自身が現地での写真実践を重ねていることも影響しているのは間違いありません。限られたフレームの中で、その土地に身を置いて身体全体で感じ取ったものを、どう表現していくのか。写しえない多くの事柄を写真家は知覚しているからこそ、カメラのファインダーをのぞきシャッターを切るときの指先に込められていく想いがあると考えています。

「写真の実践研究」プロジェクトは、どのように続けておられますか。

 現在は、先ほど少し触れました長崎を始め、戦後日本を見つめた東松の写真実践についての研究に取り組んでいます。これまで写真史や写真論において東松は、戦後の揺れ動く社会を鋭く捉えた「リアリズム写真運動」を展開した前世代の土門拳や、戦前から「報道写真(組写真)」を主導してきた名取洋之助に対して、写真独自の視覚的効果を活かした「映像派」世代の写真家として論じられています。ですが戦後社会の人々の暮らしの営みを、東松自身がどう見つめていたのかについては具体化されてきませんでした。そこで「写真家 東松照明が撮り続けた長崎の生活者と自然の営み」(2020年度生活学プロジェクト)では、1960年代初頭から30年以上をかけて撮影された長崎の被爆者と、東松との関係を多角的な資料分析から浮かび上がらせています。

長崎市立城山小学校の被爆校舎

写真3:東松照明の足跡を辿るために訪れた長崎にて。爆心地の近くで今も守り続けられている、長崎市立城山小学校の被爆校舎(2021年3月撮影)

 今までの取り組みよりまず見えてきたのは、戦時下に子ども時代を過ごした1930年生まれの東松の複雑な戦争体験が、戦後の生とその写真表現を強く規定していったことです。東松はそれを「戦中の被害体験、敗戦の記憶、戦後の飢餓感」が色濃く滲んだ「戦争の影」という言葉で表現しています。一方で東松にとって戦後の占領には、戦前までの軍国主義的な価値規範や敗戦直後の「飢餓地獄」からの解放といった「肯定せざるを得ない」側面もありました。修士論文としてもまとめた本研究では、このような割り切れない体験が、東松が戦後社会を見つめていく基盤にあったことを明らかにしました。
 こうした「戦争の影」を抱えてその後東松は、日本原水協による、被爆の現状を世界に訴えるための写真集の制作依頼をきっかけに1961年に初めて長崎を訪れ、自身が被爆以後の現実に無知であったことに強い衝撃を受け、それ以後、仕事としてではなく、自分に何ができるのかを模索しながら被爆者を撮り続けます。本研究では、こうした30年以上にわたる撮影活動の過程で、一人一人が生活を営む中に固有の原爆体験が在ることを感じ取り、「被爆者」を「生活者」として捉え直していった姿を描き出しました。このように戦中戦後の時代を生きてきた同じ人間として、生活の現場より原爆被害を見つめ続けた東松の姿は、例えば原爆の持続的被害に対する人間の思想的営為を、長崎の被爆者の生活史から描き出した社会学者の石田忠の議論や、ひとびとが各々の生活の中で感じ取った実感を書き留め分かち合っていく鶴見和子の「生活記録運動」とも重なります。

生活史や生活記録運動は、日本生活学会としても親しいものです。これらと東松の写真実践との関係は、研究プロジェクトの最初から意識していたのですか?

 正直なところ、当初は全く念頭にありませんでした。私が事例分析の対象としている星野道夫・東松照明・畠山直哉の三者は、まったく別々のテーマを撮影している写真家にみえますが、「写真実践」より研究を重ねる中で、異なる戦後の時代に身を置きながらも、三者に共通して、個別具体的な暮らしの営みを見つめていることが浮かび上がってきました。ひょっとしたら三好先生は、最初からこの辺りを見通しておられたのかもしれません。

今後の展開はどう考えていますか。

 今年度の生活学プロジェクト(「写真家 東松照明が国境を越えて捉え続けた、沖縄の生活者の営み」)にも採択して頂きましたが、長崎に加えて、東松が戦後日本を見つめる上でのもうひとつの柱としての沖縄に注目する予定です。東松は、長崎での活動に引き続き、沖縄返還に揺れる1960年代末から70年代初頭にかけて、沖縄へと渡っています。戦後の「アメリカニゼーション」が進む中で、その当初東松には本土よりも沖縄のほうがそれが進んでいるのではないかという意識があったのですが、沖縄本島の周囲の島々に、むしろアメリカニゼーションに侵食されない人々の生きざまや精神文化があることに衝撃を受けます。そして「占領」という現実の一方で、古来より海をめぐって人々が往来してきたことに関心を持ち、東南アジアにも渡っています。このように、国境を越えてひとびとの暮らしの営みを連続的に捉えていった東松の活動を、「写真実践」から具体的に論じる予定です。
 さらに今後の展望としては、東松に限らず、戦後、それぞれに異なる時代状況の中で生きた写真家たちが、どのように生活者の営みを見つめ続けたのか、そこに通底する普遍的な思想をつかむことが出来ればと考えています。特にこの際に、戦後社会の起点にあった「敗戦」の重みについて考え直すためにも、ひとびとの戦後の生きることの歩みに敗戦が何を刻み込んでいったのかを丁寧に考察していきたいです。
 方法論的に注意したいのは、写真家のライフヒストリーそのものを描くこととは少し異なり、たとえば東松ならば、東松とその被写体となった被爆者との間で、撮影を通じて経年的に築かれた関係性や見出された事柄を、私が様々な資料を通じて再構成し、「二重に焼き出す」ことへつなげている点です。このとき、これまでアラスカや長崎で行ってきたように、分析者である私自身も、先人である写真家たちの足跡を重ね合わせるように現地での写真実践を行うことで、それを分析へと再帰的に生かしていきたいと考えています。

平和公園の被爆遺構(2020年3月撮影)

写真4:長崎、平和公園の被爆遺構(2020年3月撮影))

いまの「二重に焼き出す」がまさにそうですが、吉成さんは写真実践にまつわる用語を随所で使われ、本当に写真実践をその身体に浸み込ませておられることがうかがえるインタビューでした。最後に、生活学会員や広く社会にアピールしたいことがあればお願いします

 私はまだ研究を始めたばかりですので、何かを申し上げるのもおこがましいのですが、これまでの研究大会での発表や、生活学プロジェクトへの採択など、生活学会には私自身の研究を積み上げる貴重な機会を頂いていることに、心よりお礼を申し上げます。今回のインタビューでも触れましたが、生活学がまさにそうであるように、「写真実践」からも、生活に根ざして多様な学問との接点が見えてくる側面があります。これからも、人間が生きている生身の現場から見えてくる一つ一つの事柄を大切にしながら、諸学との対話を試みつつ、将来的には共同研究にも取り組みたいと考えています。

ありがとうございました。

(インタビュー日 2021年8月5日)


インタビューを終えて(インタビュアーの一言)

土居:吉成さんが「写真実践」と名付けたコンセプトが、まさに彫琢されつつあるとよく分かるお話しでした。正直に申し上げれば、吉成さんの発表で初めて「写真実践」という用語を目にしたとき、「写真はスマホで充分」派の私にとって、写真家の代弁者が登場したのかと早とちりして誤解していました。ですが発表での質疑応答や、その後に刊行された著書、そして今回のインタビューを通して、「写真実践」とは(写真家の代弁者ではなく)様々な実践とのつながりを見据えたコンセプトであることが、了解できました。この原稿に痕跡が残ってるように、年長者のインタビュアーとして、やや吉成さんに不要な緊張を強いたかと個人的に反省してますので、経験・年齢問わず話ができる場をしつらえるべく引き続き学会実践に取り組もう、と思いを新たにしております。

「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。