「趣味としての手づくり」の歴史と現在
溝尻真也氏(目白大学メディア学部准教授)

インタビューアー 笠井賢紀(慶應義塾大学)、土居浩(ものつくり大学)、饗庭伸(東京都立大学)
この原稿はネット・インタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです

日本生活学会研究論文賞の受賞おめでとうございます。まずはご自身の研究フィールドをご紹介ください。

もともとは・・・、いや今でも「メディア研究」が専門です。その中でも音楽を中心に、「音楽メディアのユーザー史」を研究してきました。子どものころからメディアに興味があり、高校生の時には放送部に入って自分で番組をつくったりしていました。それが高じて大学入学後の研究テーマもメディア研究を選び、特に音楽が好きだったので、音楽とメディアについて研究してきました。ラジオやテレビといったメディアは音楽をどう媒介してきたのかが、主な研究テーマです。
修士課程では、特にFM放送の歴史研究に取り組みました。FM放送はAM放送に較べて音質が良かったので、それが音楽ファンの人たちにとってどう重要なメディアになっていくのか、ということを調べました。そして調べていくうちに、オーディオマニアの重要性が見えてきました。初期のFM放送がまだ実験放送の段階で、受信機もほとんど普及していない時期に、その実験放送を誰がどのように聞いていたのかを調べてみたら、自分で受信機を組み立てていたマニアの人たちの存在が浮かび上がりました。その人たちのあいだで「音質のいい、すごいメディアができた」という話が広がっていくところから日本のFM放送の歴史が始まったということが分かり、とても面白いと感じましたね。
こうして、自分の興味の対象が「マニア」に移っていったわけです。自分で受信機を組み立てるような人たちは、何が楽しくてそれをやっているのだろうか、ということを知りたくなり、博士課程ではオーディオマニアへのインタビュー調査に取り組みました。
オーディオマニアの方々がやっていることって、機械を組み立てること自体を楽しむという技術者の遊びのような側面があり、人によっては極端な場合、音楽を聴いていなかったりするんですね。自分が組み立てた機器がどういう音を鳴らすのか、それを耳で聞くというよりは、音の波形が自分の思った波形に近づいているかという世界で遊んでいたりします。自分が出会ったオーディオマニアの方々は、何か目標を立てて、その目標に近づけるべく機器をつくることが楽しくて仕方ないんだな、ということに気づきました。そして、つくること自体が趣味になると手段と目的が転倒するのですが、そういった趣味のあり方がいつからどういう形で広がったのかについて、さらに興味が湧いてきました。
そんなとき、たまたま私の父が日曜大工が好きで、小さい頃からいろいろなものをつくっていたことを思い出し、そこから典型的なものづくり趣味としてのDIYに関心が拡がっていきました。ここ5年くらいは、DIYを中心としたものづくり趣味の歴史について研究している、という感じです。

溝尻真也氏

これまではどういうキャリアを積んでこられたのですか?

学部を卒業した後、1年だけ民間企業で働いたことがあります。学部生の頃から研究することは楽しいと思っていて、進学して研究を続けるか会社員になるかを迷ったのですが、大学院はあとから入ることができるが、その逆は難しいと思ったので、まずは就職しました。でも、自分ひとりで一から十までプロジェクトを進めて、その成果を自分の名前で発表できる研究の楽しさが忘れられず、会社は1年でやめて、一念発起して大学院に入りました。学部時代は社会学のゼミでしたが、メディアをもっと専門的に研究したいと思い、立ち上がったばかりだった東京大学の学際情報学府に進学しました。現在は目白大学でメディア論を教えています。

研究論文賞を受賞された「1960-70年代日本における DIY/日曜大工 ―松下紀久雄と日本日曜大工クラブの軌跡から―」はどういう研究ですか?

日本でDIYや日曜大工が趣味としてひろがったのは1960年代末から1970年代なのですが、その時期にどういう背景でDIYや日曜大工が趣味として定着していったのかを記述した論文です。スポットをあてたのは、1960年代末から1970年代にかけて活動した「日本日曜大工クラブ」という趣味サークルです。最盛期には公称45,000人くらいの会員数を獲得していた、という資料を見つけて、「これは一体どんなクラブだったんだろう」と思い、調べ始めました。そして、このクラブがどういう経緯でそこまで盛り上がっていったのかを軸として、DIYや日曜大工がどのように日本に定着していったのかを記述したのが、この論文です。

その中で、松下紀久雄さんという一人の人物に焦点をあてていますよね。

修士の院生時代は文献調査を中心にやっていたのですが、博士課程に上がってスランプに陥り、手当たり次第にいろんな調査をした時期があります。そのときはフィールドワークや量的調査にも手を出していました。その中で一番自分にはまったのが、ライフヒストリーの方法でした。オーディオマニアは年配の方が多く、すごく長い「趣味の歴史」をお持ちの方ばかりでした。そういう人たちに聞きたいことだけを切り取って聞くのではなく、生い立ちから、どういう環境で育ったのか、そこからオーディオやメディアへどのように興味を持ち、どう現在につながったのかをじっくり聞いていく、というライフヒストリーの方法が自分の中では面白くなり、オーディオマニアの生活史という論文を書いたりしました。
DIYを次の研究テーマとして決めた時も、同じように個人の生活史に焦点をあてて調べようと考えました。しかし調べていくうちに、オーディオに比べると、DIYや日曜大工はそこまでのめりこむ趣味ではない、ということも分かってきました。ほとんどの人にとっては、日曜日の暇なときにちょっとやるというような趣味であることが多く、ライフヒストリーを聞けるほどの思い入れがある趣味かというと、必ずしもそうではありませんでした。
そんな時に、日曜大工クラブの理事長だった松下紀久雄さんを見つけたわけです。この方こそ、人生のある時期をDIYに捧げた人でした。この方がいったいどういう経緯でDIYにはまっていったのか、ということに興味を持ちました。もう亡くなっている方なので直接お話を伺うことはできなかったのですが、書いたものをたくさん残しておられたので、資料を集めて、そこからライフヒストリーを記述しようと考えました。それが今回の論文です。

伝記的におわるのではなく、個人の人生史と社会や時代との連関が描かれているのはそういうわけだったのですね。

日曜大工クラブが急拡大した背景として重要だったことのひとつに、メディアとの関係がありました。松下紀久雄さんは、マスメディアの使い方に長けていました。テレビに積極的に出演したり、自分で雑誌を出版するなどしており、マスメディアの影響力をよくわかっている人だったと思います。松下さんの本業が、戦前からずっと漫画家だったということもあります。メディアをうまく使いながら、DIYを拡げていったことが、私にとっては面白い発見でした。
もう一つ面白かったことは、松下さんが海外に目を向けていたことです。当時はどこまで一般的だったかわからないのですが、今でいうグローバルな視点を持っている方でした。松下さんは戦時中は東南アジアに派兵され、現地向けの新聞や雑誌に記事を書いていた人でもあります。もともとグローバルな発想を持っていたようで、戦後も頻繁に海外を視察しながら、DIYの思想を取り入れ、それを日本に広めていく「メディエーター」の役割を積極的に買って出ました。アメリカのDIYの方法やヨーロッパの思想を勉強し、取捨選択して、それを日本に広めながら持論を展開していった。そうした流れの中で、日本独自のDIYの考え方が定着したわけです。

民芸運動ともつながっているようなものなのでしょうか?

直接のつながりはわからないのですが、日曜大工クラブの機関誌を読み込んでみると、民芸的なものへの憧れが表出していることは多々あります。芸術というよりは、日常に密着した実用的なものを作っている、職人のような人たちへのあこがれもあると思います。実際にクラブの会員がどこまでそれを意識していたのかはわかりませんが。

現在にはどうつながっているのでしょうか?

最近は、DIYという言葉の範囲が拡大していると思います。狭い意味での日曜大工とは違って、女性も含めてやる方が増えてきました。もともと女性の方々がやっていた手づくりは「手芸」と呼ばれていたのですが、それが「ハンドメイド」に名前を変え、今では「DIY」の一領域になっているように思います。どこからどこまでがDIYなのかがあいまいになり、なんでもDIYとして包摂されている、あるいは、いろいろな流れがDIYに収斂しているような印象を受けます。
一方で、いまDIYをやっている方にお話を聞くと、多くの方が「自分がやってるのは日曜大工ではない」とおっしゃいます。いまの人たちのDIY概念は、昔の日曜大工をやっていた人たちとは随分と違っていて、かなり幅の広い概念になっているのだろうと思います。

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写真:日本初の大型ホームセンター・DOIT与野店にて(2015年5月撮影)

ご自身の生き方や趣味が研究の対象とも重なっていますよね。

よく聞かれることですが、実は私自身はDIYはほとんどやっていません。すごく手先が不器用な人間なので、オーディオ趣味にしても、DIYにしても、一番苦手な趣味かもしれません。でも逆に、だからこそ面白いと思っているところもあり、なぜこの人たちはここまで細かい作業にはまれるんだろう、どこが面白いんだろう、という疑問をひとつづつ埋めている感じです。この研究を始めてからDIY講座に参加したりもしたのですが、そうやって一から勉強しつつ、そこで感じた疑問を伺いながら、さらに学んでいけるところが、こうした研究の面白いところかと思っています。

生活学との関係はどのように考えているのでしょうか。

学部時代は社会学からスタートしたのですが、その中でもライフヒストリーをやっていると、生活学が持っている研究の射程との共通点がたくさんあって、相当重なっているなと思います。最近、有末賢先生の『生活史宣言』を読み直していたのですが、そこでは生活史と生活学と社会学が密接な関係にあることがクリアに書かれています。いろいろな学問と重なり合う形で生活学が成り立っているところが、あらためて面白いと思います。

これからのご予定について教えて下さい。

大きく2つくらいのことを考えています。1つは松下さんの個人史だけではなく、もう少し幅をひろくとって、1970年代のDIYや日曜大工が、具体的にどのような思想のもとで営まれていたのかを調べてみたいと考えています。そのために、松下さんが書かれたもの以外の雑誌記事や新聞記事などを読み直す作業を進めています。現段階では、職人に対する憧れがあったのではないか、ということが見えてきています。当時のDIY雑誌を読むと、職人にインタビューしている記事がかなり多くて、海外から入ってきたグローバルな文化としてのDIYを広めたいという考えはありつつも、その一方で、昔ながらの職人気質に対するある種の憧れもあったのではないかと考えています。
もう1つは、この後の時代、現代のDIYや日曜大工のあり方をまとめたいと考えています。1970年代と現在では、状況は大きく変わっていると思います。メディアが大きな役割を果たしていることは変わらないのですが、そのメディアが変化して、現在ではSNSになっているわけです。DIYでつくったものをSNS上で見てもらって、「いいね」を押してもらう楽しみ方が急速に広がっています。この担い手は女性が多く、そこに職人への憧れは希薄です。こうした変化について、特に女性の方にインタビューしながら調査を進めているところです。

メディアを使ったワークショップにも取り組んでおられますよね。

これまで、人々がメディアをどう楽しんできたのかというユーザー文化の歴史研究をしてきたわけですが、私自身は、メディアを使って遊んだり情報を発信したりすることは、いまも昔もすごく楽しいことだと思っています。単に研究するだけではなく、その楽しさを多くの方に知ってもらうワークショップ、例えば地域の方々に自分たちが住んでいる町の思い出を語ってもらったり、それを作品にして発信してもらったりするような活動を続けています。

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写真:東京都文京区で実施した町の思い出語りワークショップ「あなたの名所ものがたり」にて(2019年11月撮影)

生活学会会員や、広く社会に対してアピールしたいことがあればお願いします。

オーディオマニアの研究も、DIYの研究も、まわりにやっている人がいなさすぎて寂しくなることがあったので、こういう形で読んでいただけたのは嬉しかったです。DIYに限らず、ものづくりが持っている楽しさは、研究対象としてまだまだ掘る余地がある領域だと思っています。社会学的な方法とは違ったアプローチもありうると思うので、学際的な研究者が集まっている場でアピールをしていきたいと考えています。いろいろな人と共同研究をしてみたいですね。

ありがとうございました。

(インタビュー日 2021年8月2日)


インタビューを終えて(インタビュアーの一言)

笠井:近所の書店に行くとミニチュアをDIYするキットを売っていました。人気を博したゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」の世界では必要なものをDIYで作らなくてはいけません。今や誰もが知る言葉となった日本版DIYの歴史を、溝尻さんは一人の人物を丹念に追うことで描きました。個人史から社会史を描く生活史研究の方法が存分に生かされていると感じました。溝尻さん自身は不器用でDIYが苦手かもしれず、だからこそおもしろいと感じているのかもしれないという、研究対象との距離感に共感を覚えます。

「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。