長浜曳山祭の都市社会学—フィールドワークから見る地方都市社会と祭礼のダイナミズム
武田俊輔氏(法政大学社会学部教授) 

インタビューアー 土居浩(ものつくり大学)、笠井賢紀(慶應義塾大学)、饗庭伸(東京都立大学)
この原稿はネット・インタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです

武田さんご自身の研究フィールドとキャリアについて、ご紹介ください

専門は社会学です。出身は東京大学大学院人文社会系研究科の社会学研究室で、院生のときは歴史社会学の観点から民謡や民俗芸能を手がかりに、戦前期日本のナショナリズムやメディアについて研究してきました。直接の指導教員ではなかったですが、佐藤健二先生には一番影響を受けています。
2003年に滋賀県立大学に就職してからもしばらくはそういったテーマの研究が中心でしたが、教育面でフィールドワークを重視する学科だったこともあり、それまで、全くやったことがなかったフィールドワークを自分でも実践するようになりました。現在は、地方都市や農山漁村の祭礼や民俗芸能を手がかりとして、地域社会の社会構造や社会的ネットワークを明らかにすることが最も中心的な研究テーマです。

武田俊輔氏


博士論文賞を受賞された『長浜曳山祭の都市社会学』の、概要紹介お願いします。

滋賀県長浜市の、近世以来続く伝統的な「町内」といわれる地縁組織とそこで行われる「長浜曳山祭」という都市祭礼の8年間のフィールドワークに基づいて、地方都市の社会構造と地域社会のネットワークを描き出した研究です。論文博士としての学位取得は2018年で、その翌年には『コモンズとしての都市祭礼:長浜曳山祭の都市社会学』(新曜社、2019年)と改題して刊行しています。
長浜は16世紀に羽柴秀吉が開いた城下町ですが、近世以降は北陸や京都をつなぐ商業都市として繁栄します。長浜曳山祭はそこで富を得た商人の財力を背景に、13の町内が「曳山」と呼ばれる豪華絢爛な山車を作って、その舞台の上で「狂言」と呼ばれる子ども歌舞伎を演じることを通じて、経済力や文化的な力を競い合うという祭りです。

写真1

写真1:長浜曳山祭

子ども歌舞伎のために、例えば松竹から来られる振付さんもいますし、義太夫の語り手、三味線の弾き手といった人たちを稽古のときから雇います。衣装やかつらも、時代劇で使うようなプロ仕様なので、たいへんにお金がかかります。祭りの準備も大変で、3年に1回、祭りの出番が回ってきて子ども歌舞伎をやるわけですが、3年前からずっと祭りの準備をやっています。そして祭りの直前の3週間は、若衆の幹部クラスは祭りにかかりっきりという状態になります。
私自身もまた祭りの中心として子ども歌舞伎のお世話をする「若衆」となって、祭礼の3年間のプロセスを、自分で経験しています。

写真2

写真2:若衆として役者と共に行事に参加

そうしたフィールドワークとインタビュー、また歴史的な資料の分析を通じて、祭りを通してつくり上げられている地方都市の構造を明らかにしているのがこの論文ということになります。
先ほども言いましたように、祭りにはものすごいお金と人手が必要になります。3週間の稽古の時にも、必ず誰かが仕事を休んで稽古場で世話をしなくてはいけませんし、夜の稽古は多くの若衆が仕事を終えたら稽古場に集まります。私自身もほとんど稽古場にいずっぱりでした。また、祭りの当日には5~6人いる子ども歌舞伎の役者の世話のため、役者1人につき若衆を2人ずつは常時付けないと回らない。シャギリというお囃子をやるのは現在は各町内の子どもなのですが、その子どもの世話をする若衆も必要ですし、子ども歌舞伎に必要な道具類、また提灯や賄いの用意もしなくてはなりません。
さらに曳山は、一回修理するだけで3,000万円くらいがかかります。国や自治体などの補助もあるので、町内の負担は6分の1ですが、それでも500万円くらいは用意しなくてはなりません。小さい町内ですと30軒ぐらいで構成されていますから、これはかなりの負担です。お金も人手も技能も曳山の維持も必要で、それをいかにして動員し、管理していくのか、その各町内の采配ぶりが町内外から注意されるわけです。
こうして大きな負担をすることで、祭りを通して人々は何を得ようとするのか。これについては松平誠先生の研究が有名ですが、都市祭礼はさまざまな競い合いの中で、その「名誉」と「威信」を張り合うわけです。それぞれの町内が自分たちの経済力・文化力を他に対して見せつけることを通じて、名誉を配分する。そしてそれぞれの町内の内部においても各家ごとや世代ごとに「名誉」と「威信」が賭けられ、配分されます。長浜曳山祭の場合は、自分の家の息子が子ども歌舞伎の役者に選ばれることが最大の「名誉」となります。この役者の配分をめぐっては常に競い合いがあり、役者候補になる年齢の息子がいるのに選ばれなかった家では、「何でうちやなくてあの家なんや」ということになります。
また世代という点では、若衆の世代とそれより上の中老と呼ばれる世代が、祭りのやり方をめぐって張り合います。若衆世代は前回よりも祭りをバージョンアップさせ、自分たちが考えるあるべき新たな伝統を祭りの中で創りあげようとしますが、それに対して上の世代が「何でうちらがやってきた、この伝統を変えるねん」といったようにそれを止めさせようとする。そういった張り合いのなかでそれぞれが言い分を通し合うことで、相互に名誉や威信を配分しあう。そうした家や世代間における名誉の配分をどう管理するのかが、祭りを行う上で大きな問題になりますし、そこでは毎回激しいコンフリクトが絶えません。


でもそれは単なる喧嘩、祭りを継承する上での障害ではないということが重要です。むしろ祭りが行われるためには、こうしたコンフリクトが欠かせない。周りでそれを見ている人間にとっては、むしろ名誉・威信を賭けて競い合う様子を眺め、時にはコンフリクトを煽ることが楽しみです。これは例えば論文に書いたエピソードですが、「何であの家の子が役者やねん」と思っている人たちが、その家に対してしきりに嫌がらせをしたりする。例えば、かつては稽古が終わると若衆が役者たちをお風呂に入れて世話をしてから家に帰していたのですが、お風呂にその家の子だけ入れてもらえなかったりするわけです。そういったあからさまな嫌がらせが相次ぐものだから、ついにその子のお母さんが、「私を轢いてから行けー!」と曳山の前に立ちふさがったなんていうことがありました。周りはそれを見て「こっちのほうが芝居やで」とかと言って、面白がっているわけです。論文の中ではそういった競い合いの面白さを、興趣の配分と述べています。祭りは名誉と威信の配分なんですが、それだけでは役者に当たる年齢の子どもがいなかったりする家にとっては特に面白くはない。でもこうした競い合いを眺める興趣は、全ての家に配分されているわけです。
それとともに名誉と威信の配分が世代を越えたものであるということが重要です、祭りのためにものすごい額のお金と労力を、先祖代々重ねてきているわけで、その見返りがなくてはならない。それは具体的には家から息子が役者に選ばれるという形になるわけですが、そううまくいくとは限らない。役者に選ばれなかった家、恥をかかされた家は先祖代々のそうした見返りが得られなかったことへの怒りや悲しみを、いつかとりかえさなくてはなりません。もしここで祭りを放棄してしまったら、あるいは今回でもう祭りは終わりですとなったら、自分の家にそうした見返りが返ってくる可能性は永久になくなってしまいます。それがいつか自分の家に回ってくる、とりかえせるという将来への期待を持続させなくてはならない。したがって祭りは何としても継承されなくてはいけないわけです。論文の前半では、そういった町内や町内間における祭りの継承のしくみとそのダイナミズムを描き出しました。

しかしながらこうした祭りの継承のしくみは、戦後になって危機に陥っていきます。戦後すぐの時期は長浜の町内は窮乏化して資金調達に困難をきたします。またかつてはシャギリの技能は農村部の人を雇って調達していたのですが、農村部でその担い手がいなくなってしまう。さらに曳山が老朽化していくなかで、その修理をする職人の技能をどう調達すればいいのかという課題も生まれます。しかし先に述べたように何としても祭りを継承しなくてはならない以上、町内の人々はそこで地域社会にさまざまなネットワークを構築して張り巡らせ、行政や地域の経済団体、町内外の自営業者、学校など、地域社会におけるさまざまなアクターとの関係を取り結び、資源を調達して祭りを継承していきます。たとえば観光資源や文化財として祭りをうまく活用させることで行政や経済団体から資金や曳山の修理施設を獲得したり、学校や教育委員会と手を結んで教育に活用してもらいつつ、児童・生徒がシャギリの担い手として祭りに参加できるようにしてもらう。逆に言えばそういった祭りを継承していく実践そのものを通して、町内を中心とした地域社会のネットワークが改めて構築されていくことになっていきます。論文の後半部分ではそうした、戦後における祭りを通じた地方都市の社会的ネットワークの再編成を描き出しました。

この研究は、社会学の文脈でどのように位置付けられるのでしょう?

生活学の中にはかなりの都市祭礼・都市祝祭研究の蓄積がありますが、地域社会学や都市社会学の分野においては、松平先生や有末賢先生以外には少ないです。まず地域社会学という学問においては、マルクス主義を背景としつつ、資本と行政とが手をたずさえた形での地域社会の開発の進行が地域社会をどう変容させたか、またそうした開発を人々がどのように受け入れ、また一方で住民運動という形で抵抗してきたのかといった問題が、大きな問題設定だったからです。また現在では縮小する地域社会において行政や市民がどのように協力して地域づくりを進めていったかといったことの方が研究テーマになりやすい。例えば同じ長浜でも「黒壁」による観光まちづくりは地域社会学の中で注目されてきましたが、私の研究のようなテーマは社会学の分野ではあまり顧みられてきませんでした。
一方で都市社会学においては、1960年代以降にコミュニティ論という研究テーマが一般化していきます。例えば東京やその周辺の新興住宅地、団地といった地域で、地域社会から根がなくなった住民のあいだにいかにコミュニティをつくりだすのかといったことです。そこでは伝統的な町内のようにあらかじめコミュニティがあったような地方都市は研究対象になりにくい。またコミュニティ論以降に都市社会学で新たに発展していった研究としては、例えば都市のグローバル化に関する研究や、都市のジェントリフィケーションといったテーマが注目されていきます。しかしながらそうしたなかでやはり、伝統的な都市の社会構造とその継承についての理論は十分につくりだされてきませんでした。実は1960年代までの都市社会学の中には、村落社会学における家連合論を都市の分析に活用する視点を提示した有賀喜左衛門、またそれを引きついで『商家同族団の研究:暖簾をめぐる家と家連合の研究』を刊行した中野卓といったように、伝統的な地方都市の社会構造を分析する視点が存在していたのですが、1970年代以降にあまり都市社会学として読まれなくなってしまった。その可能性をつないだ数少ない研究者が松平先生や有末先生だったわけです。この論文の社会学史的な特徴は、そうした忘れられた「もう一つの都市社会学」を再構築することを通じて、現代の地方都市の社会構造を描く枠組みをつくったことにあると思います。

もともとは歴史社会学をされていた武田さんが、この研究のようにフィールドへどっぷりと入り込んだ経緯を、ご紹介ください。

2016年に長浜曳山祭を含む全国33の国指定重要無形民俗文化財に指定されている山・鉾・屋台の祭りがユネスコ無形文化遺産にまとめて登録されましたが、実はもともとは各地の祭りが独自にそうした動きをしていたんですね。2010年に長浜曳山祭を保存会組織である財団法人長浜曳山文化協会が、その登録に向けて報告書と映像記録を作成するべく文化庁から補助金を獲得し、その報告書の作成が滋賀県立大学に委託されました。そして当時県立大学に勤めていた私が同僚の民俗学者・市川秀之先生、また他の研究者の方々とご一緒に、その調査を担うことになりました。なので、やや受動的な形で調査自体は始まったんです。
この祭りを行うのは13の町内ですが、長刀組という町内は子ども歌舞伎ではなく武者行列を行っていて、残り12のうち4つの町内が交替で子ども歌舞伎を披露します。同日時間帯に各町内がさまざまな行事を進行していきますので、全てを調査して報告書にまとめるのは教員だけでは不可能なんですよ。そこで学生たちを大量に動員して参与観察調査に参加してもらい、2011年の祭りを現在祭りがどういうふうに行われているのかについて、報告書を作ることになったんです。受託研究としては2012年3月までだったのですが、私自身がこの調査をやってみて、とても面白かったんですね。この熱気とパワーとモチベーションは一体何なのか調査をしてみたい、継続してみようと思いました。
そして2012年の祭りで子ども歌舞伎を披露する町内に調査をお願いしたんですが、その町内は子ども歌舞伎の稽古場に、若衆以外が入れないという制約を課していました。そうなると私がフィールドワークに入ろうと思ったら、若衆になるしかないのです。そこで町内にお願いして若衆入りさせていただき、祭りに関するありとあらゆるプロセスを経験することになりました。自分自身でシャギリの笛を吹き、小さい子どもにその指導をし、練習後の飲み会にも付き合う。いろんな町内の祭りに関する行事があったら一緒にやらせていただく。人手不足の町内だったので、特に稽古の時や祭りの当日などは学生も準若衆のようになって一緒に働いてくれました。なにしろ私がそれまではフィールドワークをほとんどやったことがなかったので、がむしゃらに全面的に入るしかないと考えていましたし、学生たちもよくぞそこまでというほどに頑張ってくれました。

フィールドワークの魅力は、どんなところですか?

魅力以前にまずフィールドワークのつらさというものがあって、それは実際にやっている最中はどこにいくかが分からないことですね。この調査、研究が社会学的にどのような意味を持つのか自分自身で確信が持てなかったときは、「これはもしかして、壮大な時間の浪費をしているんじゃないか」という気もしていました。3年間若衆をやっていたときは、そこでの経験をどう解釈すればいいのかも分かっていませんでしたね。でも、若衆をやめてからインタビューを継続していく中で、自分が若衆をやっていたときの状況や意味が鮮明に見えてきました。そこが見えて、ようやくそれまでのフィールドワークで得られたデータがつながり始めて確信が持てるようになっていった。そこに至れば魅力が分かるんですけど、そこまでは本当につらかったです。祭りを一緒にさせていただき、話を伺うこと自体はすごく楽しかったですけど、それだけでは論文にするという使命が果たせない。
逆に魅力という点では、それまで自分自身が経験してこなかった異文化をどっぷりと体験し、またそこでお話を伺うことはドキドキする経験です。著書の中で引用されるさまざまな語りをご覧いただければその一端はうかがえると思いますが、特に長浜の方は普段から祭りについて考え抜いているがゆえに、ものすごくその語りが練られていて面白い。参与観察とそうした聞き取りから見えてきたことをまとめた論文をインフォーマントにお見せしたときに、「そういう形で言うたり、書いたことはなかったけれども、まさにそれはわしらが思っていることなんや」というふうに言ってもらえたことは大きかったですよね。インフォーマント自身が意識していない、言葉にしていないことを論理として提示して、「自分たちがやっていたのはこういうことだったのか」ということを改めて納得してもらえる。その結果インフォーマントの側もメタレベルでそうした町内や祭りのあり方を把握するようになっていき、祭りにおいて参照されるようにもなっていきます。この論文やそれをもとにした著書自体もその意味ではフィールドを構成する資源の一部となっているというプロセスがある。そうしたお互いの理解や納得、そしてそれが何らかの形で役立てられていくというのが、フィールドワークをやっている中で一番面白い部分だと思います。この本は全部、私がいた町内の筆頭さんに事前に読んでもらっています。この話を入れるとそれ自体がコンフリクトを発生するということで削ったエピソードも、それなりにありますが、先に述べたようなインフォーマントからの理解や納得を得られていったプロセスがあったことが、このテーマで論文を書き続けていく原動力になってきました。

関連書籍も、多く出されていますよね。

まずはもともとの委託調査の成果である報告書として、長浜曳山文化協会・滋賀県立大学編で刊行した『長浜曳山子ども歌舞伎および長浜曳山囃子民俗調査報告書 長浜曳山祭の芸能』があります。また学生たちが参加したこの調査に注目してくれた地元の出版社のお声がけがもとになって、『長浜曳山まつりの舞台裏』(サンライズ出版、2012年)を市川秀之先生と私の編著で出しています。これは冒頭と末尾以外は、2011年・2012年の祭りの調査に参加してくれた学生が原稿を書いてくれていて、それを共編者としてまとめたものです。さらに最初の調査に関わった研究者の論文をまとめた『長浜曳山祭の過去と現在 祭礼と芸能継承のダイナミズム』(おうみ学術出版会、2017年)をやはり市川先生との共編著で刊行しています。それらをふまえて、先ほど述べたように自身の単著としての『コモンズとしての都市祭礼―長浜曳山祭の都市社会学』(新曜社、2019年)を出しています(写真3:『コモンズとしての都市祭礼―長浜曳山祭の都市社会学』)。幸いにも評価をいただき、著書としては地域社会学会より第13回地域社会学会賞(個人著作部門)、また公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所より地方自治・地方行政・都市問題の研究に与えられる第46回藤田賞を受賞しています。

写真3

写真3:『コモンズとしての都市祭礼―長浜曳山祭の都市社会学』

これからの研究の方向性を、教えてください。

今はフィールドも歴史もやっていますが、フィールドワークをしなくなることは、今のところは考えられません。例えば山口県上関町祝島の祝島神舞という祭りの調査もしていますが、ここでも自分が櫂伝馬(かいでんま)という船をこぎ、仮神殿という神楽を舞う建物を建てるお手伝いをさせていただくといったようなスタイルでフィールドワークをしています。今後もそういう形で、地域のお手伝いをしながらフィールドで調査するスタイルは続けていくと思っています。またこの4月から法政大学に移りましたけれども、学生を巻き込みつつ一緒に調査をしていくというスタイルについても継続するつもりです。

生活学との関連を、お話しいただけますか

少し前に松平誠先生のインタビュー記録を読みましたが、米山先生や松平先生を起点として日本生活学会には祝祭研究に大きな蓄積があります。日本生活学会から2000年に刊行された『祝祭の100年』は、その時点での都市祝祭研究の集大成だと思いますし、そこで執筆された先生方の研究蓄積から学ぶところは、非常に大きかったと思います。そして学生を連れて調査するスタイルも、米山俊直先生の『祇園祭』(中央公論社、1974年)や松平先生の『祭の社会学』(講談社、1980年)に影響を受けています。こういった蓄積がなければ、私の研究は成り立っていない。社会学の中だけでは絶対にできなかったと思います。

生活学は、祭礼を中心にした「ハレ」だけでなく、日々の普段の生活にも注目します。祭礼と普段の生活の関係をどのようにご覧になっていますか

3年に1回、祭りに出て子ども歌舞伎を披露する順番が回ってきますが、先ほど言ったように祭りにはものすごくお金がかかりますから、自分たちの町内だけでは到底まかなえませんし、行政からの補助金が加わってもまだ足りません。そのため取引のある自営業者さんや企業、日常通っている居酒屋さんといったところにできるだけ声をかけて、祭りのために協賛金を出していただけないかお願いすることになります。そうした協賛金を獲得するには何が大事かというと、普段の日常的な取引なんです。3年後に自分の町内が出番を迎えることを想定した上で、相手にどれぐらい得をさせておくのか、どれぐらい貸し借りをつくっておくのかというようなことを常に考えている。若衆たちが揃ってどこの飲み屋に行くのか考える際も、そうした協賛金を一軒でも多く獲得することを考えて選んでいます。また祭りの幹部役を自分が務めるとか、自分の家の息子が将来役者に選ばれる可能性があるとか、そういう場合でも常日頃の関係が大事です。家庭生活でも、自分が若衆の中で重い役を受けることがわかっていれば、お連れ合いのことをそれまで大事にしておく。ワーク・ライフ・バランスといいますが、長浜では祭り・ワーク・ライフ・バランスなんです。そうした日常的なやりとりで不義理だったりすると、3年に1回の祭りのときに絶対に協力してくれない。ですから常にどこかで祭りのことを考えて、逆算して日常生活を送っている。例えば外から来たテナントの人が、どれぐらい日常の清掃や防災に協力しているのかはみんな分かっていて、それを踏まえた上での祭りでの役割が与えられるんです。
普段の日常生活で、そういうことをおろそかにしていると、祭りのここぞというときに、みんなの前で恥をかかされます。誰もが注目している祭りの場だからこそ、日頃の怨念を晴らせるということでもあるんですよ。普段は紳士な方でも、祭りの場になると血相を変えるなんてことがある。普段から怨念も、因縁もある中で、それを唯一出せるのは3年に1回のそのときであって、逆に祭りでそうした感情を吐き出せるからこそ、その方だって普段は紳士でいられるのかもしれません。
だから、日常と非日常、ハレとケというものは切断されているように見えてつながっていますし、日常の場が分からなかったらハレの場の意味も分からないところがある。ハレの場に向けて、日常が積み重ねられているということだと思っています。
少し話は変わるかも知れませんが、長浜のNPO法人まちづくり役場に、2年に1回ぐらい学生を連れていって、商店街連盟の会長さんにお話をしてもらっています。そこで会長さんが「私らは、この祭りを続けていかにゃいかんのです。そのためには、この商店街を、何とかずっと経済的に発展させていかなくちゃいかんのです」と何気なく仰るんですね。それはそんなに強調して仰ったわけではないけれど、だからこそ私はそこには重要な意味があると思っています。マルクス主義的な下部構造を重視する理論だと、ちゃんと日常的な経済活動が回っていて余剰があるからこそ、祭りができるんだという話になる。でも会長さんの言い方は逆転していて、人々が資源を投入し、家々や世代、町内に名誉や威信、興趣を配分するという祭りが先にあって、それを後の世代にも引き継がせるために、町を経済的に何とかしなきゃいけないという言い方になっている。経済という日常があって初めて祭りという非日常があるのではなく、祭りという非日常を支えるためにこそ日常の経済を回していくという説明になっているわけです。経済を下部構造と考える説明の仕方は分かりやすいですが、伝統的な町内や村落においては、それで説明できないものがあると思っています。

今後の予定についてお話しください

長浜を中心としつつ、今後は関東のフィールドも含めて地方都市・都市祭礼に関する研究は今後も継続していきます。またそれ以外に離島と山村における民俗芸能や祭礼の研究を続けています。山口県の祝島では原発に反対する人々が移住し、他出者と共にそういう人たちが参加する形で祭礼が成り立ち、普段の生活も成り立っています。そういった他出者、孫ターン、Iターンを含めた地域社会の在り方を、祭礼を手掛かりとして分析しています。
また滋賀県の朽木古屋という集落では、アーティストやコンテンポラリーダンサーが参加することによって一回なくなった民俗芸能、盆行事が復活しています。そういった人たちが芸能を習得して、その人たちが住民の孫世代に教えることによって、継承されています。そこではアーティストも含めて民俗芸能の継承が成り立つ、それが集落の今後にどう結び付いていくのかという可能性を見ていきたいと考えています。
あと最近始めた研究はNHKアーカイブスの学術トライアルで、『ふるさとの歌まつり』をずっと見ています。テレビにおける祭礼や民俗芸能の表象と、それがどういう形で構築されていくのかについても、研究していきたいと思っています。

生活学会会員に、さらには広く社会に対してアピールしたいことはありますか

私は社会学、民俗学、音楽学、文化人類学の研究者の方々とずっとお付き合いをしながら研究してきましたが、この生活学会は、それにとどまらない多くの分野の方がいらっしゃいます。前任校の滋賀県立大学でご一緒させていただいていた面矢先生の道具学のご研究も読んだりしていましたが、モノへの関心なども私が普段接する他の学会ではあまり見ないもので、面白いなと思っています。
私の本の第8章では、アクターネットワーク・セオリー的に曳山を論じています。曳山はどんどん漆が色あせていくし、飾りも剥げて駄目になっていきます。そこで何とか曳山を維持しなくてはいけない中において、人間のほうがモノに合わせて動かざるを得ないところがあるわけです。モノを媒介として人々の社会関係が生み出されていく仕方を考察するというのはあまり社会学は得意ではないのですが、こういった学会ならそういった研究を進展させていく可能性も開けそうな気がします。そういったいろいろな可能性を、生活学会の中で探っていきたいです。
広く社会にと言われると難しいのですが、コロナ禍において祝祭がどうあるべきなのか、どうあり得るのか。例えば長浜の場合ですと、来年はオンライン中継しかないのではないかという話さえ出ています。本来祝祭は、たくさんの人に見てもらっているということ自体が名誉と威信を示すものになるわけで、それはあり得ないわけです。こうした状況下において人々の祝祭の在り方というのをどう考えていくのか、そこにどういうふうな形で研究者が参加できるのか、難しい課題です。今年は祭りは多くの地域でできなかったり、時には隠れてやっていたりしたわけですが、そうした状況が逆に地域社会にとっての祭礼が持っている意味、その欠落が持つ意味を、きちんと書き留めることが大事なのかなと思っています。コロナ禍における「生活」のあり方を生活学会において考えるプロジェクトが進んでいますが、私の立場からはそうしたことは考えていきたいですね。

ありがとうございました。

(インタビュー日 2020年9月11日)


インタビューを終えて(インタビュアーの一言)

じつは、インタビューで武田さんご自身による『コモンズとしての都市祭礼』の紹介された文脈とは全く別に、私は日本各地の大小様々な組織に関われば遭遇する、あるあるネタばかりの組織論として読んでます。特に、名誉と威信の問題は、僕だけでなく誰もが心当たりのある話として読める内容です。その意味では「祭礼」研究として分類固定してはもったいない(後日に検索したら、さすがにNDLで361に配架されている様子)、極めて広がりのあるご研究だなぁと読むたびに感じます。今回のインタビューでは、研究対象だけでなく主体である武田さんに生じた研究生活の変化もうかがうことができ、さらに興味深く思えました。(土居)

今、『コモンズとしての都市祭礼』をゼミで学生と一緒に読んでいます。ありえたかもしれないが実際にはあまり辿られてこなかった都市社会学の道を今一度歩んだ行程を、同書を読み進めることで私たちも追って学ぶことができます。また、日本生活学会の多くの先達の痕跡も随所に見られ、この学会の豊かさを知ることもできる研究だと思いました。(笠井)

「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。