語りから未来を紡ぐ方法論の探究
笠井賢紀氏(龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科准教授*)

インタビューアー 真鍋隆太郎(東京大学)、饗庭伸(首都大学東京)
この原稿はスカイプでインタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです

まずは笠井さんご自身の研究フィールドとキャリアをご紹介ください。

聞かれる文脈によって少し答え方を変えることもありますが、専門は質的社会調査法で特に人生の語りを中心とした調査研究の方法論を探究しています。大学では「まちづくり論」などを担当し、最近は参加型行政やコミュニティ政策系の論文を何編か書きました。職場がある滋賀県内のいろいろな地域でまちづくりワークショップや関連する講演を依頼していただくことも増えました。自分の専門分野ではありませんでしたが、これまでやってきたことと混ざっていくことをおもしろく感じています。

世界遺産PBL科目でフィールドに立つ笠井賢紀氏

世界遺産PBL科目でフィールドに立つ笠井賢紀氏

方法論を探究するにも実践する現場が必要なので、いろいろなフィールド(地域)に行きました。また、研究のフィールド(領域)という点でも学際性を身につけた「ハイブリッド研究者」を目指して渡り歩いています。この言葉は、東京大学の井上真さんの本で学部生のころに出会い、一つの指針になりました。学部の1,2年生のときはコンピュータシミュレーションによる社会ネットワーク分析、それ以降、博士課程2年生まではフィリピンでの研究を行っていました。
フィリピンには大学生最初の夏休みにNGOのスタディツアーで行きました。初めての海外でした。それがきっかけで、最初は廃棄物行政について調べ、修士からは都市貧困層の生活史調査に移りました。研究の軸足がまちづくりに移ったのは、博士課程3年のときに横須賀市役所で自治体シンクタンクの研究員を務めた経験が大きいです。ちょうど、そのころまでフィリピンでの調査をしていながら、自身のフィリピン語(タガログ)がほとんど上達しなかったことに悩みも抱えており、方法論探究へと方向性を変えました。

生活学プロジェクトの研究「左義長に生活様式の変化をみる:栗東市目川・岡地域を事例として」について教えてください。

全国各地で正月に行われる左義長(さぎちょう)という行事にまつわる研究です。左義長は神送りの火祭りで「どんど焼き」など地域によって呼び方も方法もさまざまです。この研究では、左義長の起源や「正しい」方法を明らかにするのではなく、ここ数十年の「左義長の変化」と同じ地域の「生活の変化」との関係を追いたいと考えました。また、地域によって左義長の変化するプロセスが異なるので、そこから地域のアイデンティティを探れると期待しました。
対象として協力いただいたのは、滋賀県栗東市の目川と岡の2地区で、2013年から私が大学の授業の一環で民家を借りて「かたつむ邸」という交流拠点を設けています。前から、交流実践だけではなく、現地で調査のプロジェクトもしてみたいと考えており、左義長がおもしろいとは思っていたのですが、民俗的な調査は初めてのことでもあり躊躇していました。そこに生活学プロジェクトの公募があったので、これをきっかけに始めてみようと応募しました。
左義長は一緒に竹を伐る、藤の地下茎を掘り出すなど材料調達の段階から身体的な経験を伴っており、私も一緒に体験しました。ところが、地域によっては藤の地下茎が採れないので、ホームセンターの針金で代用する。この地域差に関心が向きました。私は人生史を伺うことがおおいのですが、左義長を媒介にすれば人生史と地域史の接点があぶり出せる、そういう可能性を感じました。

藤の地下茎採取の様子(2017年・目川)

藤の地下茎採取の様子(2017年・目川)

何が明らかになりましたか?

左義長の変化を通じて生活の変化を明らかにするというアプローチはうまくいきました。たとえば、左義長には稲わらが必要ですが、今のように機械で稲を刈り取るときには同時に裁断もしてしまうので燃料として使えるまとまった稲わらが手に入りません。左義長のために、手刈りした稲わらを取っておくように頼まれている農家もあります。また、この地域では左義長の準備は子どもの仕事でしたが、学習塾など習い事が優先され子どもの参加が減ったり、いっとき開催されなくなったりもしたようです。
しかし、左義長が変化するプロセスから地域のアイデンティティを明らかにするというアプローチはうまくいきませんでした。いずれの変化も「当たり前」「仕方ない」と捉えられていたり、変化の経緯をよく知る方を見つけることができなかったりしました。
とはいえ、左義長研究でありながら、神事・民俗・伝統といった視点から起源や歴史を明らかにするのではない新しいアプローチができたと思います。特に、同地域に子ども会がなかった1950年前後において、左義長の準備が子どもの社会化機能を果たしていたことに注目しています。左義長で初めて子どもたちだけが集まり、先輩・後輩との関係が築かれる。高校から結婚するまでは青年団に入る。これらの時期に地域の大人たちからの支えを受け、生涯続く仲間も形成される。就職すると地域との関わりは薄れるものの、退職後は「地域への恩返し」として自治会活動に参加する。この地域にはこうしたモデルコースがあり、左義長はそのコースへの第一歩として位置づけられる重要な経験だったのではないでしょうか。今では、いったん成立した子ども会がなくなった地区もあり、左義長の準備は自治会が行っており、モデルコースが既に崩壊しています。地域と住民がどのように関わることが現代的には求められるのか考えるきっかけにもなります。

左義長の研究と生活学との関係について教えてください。

左義長の調査というと、どうしても民俗や伝統といった言葉が先に来ます。今回、調査に応じてくださった方たちも「左義長のことは何もわからないから、歴史に詳しい人に聞いて」という反応でした。地域の長老格の方や郷土史家に話を伺いに行くと史資料が用意されています。ところが、私が「正しい左義長」を知りたいのではなく、「子どものころの、左義長にまつわる思い出話」を知りたいとわかると、止めどなく語りが紡がれていきます。左義長にフォーカスするのではなく、個人の生活にフォーカスして左義長についても伺う、こういうアプローチが生活学的と言えるのかもしれません。
私は生活史という言葉を社会学の文脈で学んできましたが、生活学会の蓄積にもとうぜん生活史が多くあります。とりわけ、生活学会の実践は未来志向であることが特徴的に感じられます。生活史法ではありませんが今和次郎の「日本の民家」の現在をトレースした瀝青会の作業にも、過去と現在・未来をつなぐ重要な仕事として刺激を受けました。

これからの予定についてお願いします。

栗東市全域に範囲を拡大して、今回は取り組めなかった空間的な把握に挑戦してみたく、地域の歴史民俗博物館にも連携を打診しようと考えています。私個人の研究ではなく、生活学会の生活学プロジェクトとして行うことは、地域のシビックプライド醸成にも効果があると考えています。

左義長を立てる様子(2017年・目川)

左義長を立てる様子(2017年・目川)

このプロジェクトにとどまらず、今後も、地域の未来につながるような調査の方法論を打ち出していきたいです。大学では「語りから未来を紡ぐ」というオリジナルな科目を担当していますが、現在はそれをタイトルにした単著の執筆に取り組んでいるところです。
「ハイブリッド研究者」を目指すからには、新しい分野にも挑戦していくことになります。たとえば、最近気になっているのは、情報処理と社会調査の方法論の接合という点で、聴覚障害者の方たちなどのための「要約筆記」という技術と、私がやっている「人生史の再構成」という作業は、どこかで共通しているのではないか、ということです。何が抜け落ちてもよく、何が抜け落ちてはだめなのか、そういったことを意識的・無意識にやっている。
それから、私は論文という表現手法しかもっていないのですが、生活史の表現にはほかの方法もあっていいのではないかとも感じています。生活史を中心とした研究者では岸政彦の小説や蘆野つづみの詩集があり、いずれも個人と社会の歴史を丹念に追ってきた研究者だからこその作品です。いつか私も論文以外の表現手法でアプローチしてみたいです。

生活学会会員や、広く社会に対してアピールしたいことがあればお願いします。

私は現場に何度も行き、同じ方に何度も話を聞くしつこい調査をします。1回目の語りを、私が研究者として再構築して持って行ったとき、「語り」は聞き手と語り手の共有の対象という新たな位置づけを得ます。こうして「語り」について語る、ということを調査手法として提案し実践してきました。「私はあなたの人生の語りをこうやって受け取りましたよ」というところから、新たな語りが広がっていきます。今回の左義長調査のように、そこに「生活」という言葉が介在するとき、誰もが語り手になり得る、という可能性を感じます。
誰もを語り手にするこうした調査法は、単に調査法にとどまらず地域のあり方を考えるためにも役に立ちます。たとえば滋賀県甲賀市希望ヶ丘地区では、調査と並行して「希望ヶ丘大学」と題するまちづくりワークショップを連続で開催してきました。地域にある課題を見つけるだけのワークショップなのではなく、実際にテーマ型組織をいくつも生み出し、その組織の活動成果発表会までを地域と一緒につくっています。語りを中心とした調査を、地域や個人の未来をつくり出す力にしたいと思い、さまざまな場面で「語りから未来を紡ぐ」という言葉を用いてきました。

地域の人をキャンパスに招いた「希望ヶ丘大学」(2015年)

地域の人をキャンパスに招いた「希望ヶ丘大学」(2015年)

一方で、調査疲れ、イベント疲れ、まちづくり疲れ、……と、研究者や学生の対応に疲れている地域がたくさんあることも忘れてはいけないですよね。一方的な関係を強いておいて「PBL」などと謳う取り組みがある状況への怒りも抱えています。地域にとっては、研究者が来ることは異常・非日常な事態です。そのことには良い点も悪い点もありますが、いずれにせよ「私は、あなた方に影響を与えてしまう主体だ」ということを地域にも共有しながら関係を築いていきたいものです。研究者は、「透明化できない自分」という存在を、自覚的に認めるスタンスを持つことが大事だと考えています。

ありがとうございました。

(インタビュー実施日 2017年6月7日)

インタビューを終えて(インタビュアーの一言)

習俗の変化を通じて生活の変化を明らかにする、という笠井さんのアプローチは、まさしく「生活学」が持つアプローチを正統に展開させたものではないかと思いました。私が専門とする都市計画では、人々と何度も対話を重ねて、そこから見えてきた少し先の未来像を構築して、人々の暮らしを方向付ける、という作業をよくやるのですが、笠井さんの作業と通じるものが多くありました。それを小説で表現するのか、詩で表現するのか、都市計画でも考えなくてはいけないことですね。(饗庭)

左義長を「民族」「伝統」としてではなく、生活との繋がりの文脈で捉えようとしたとき、まちのみなさんの「語りが止めどなく紡がれていく」というお話、とても興味深く聞きました。私も「あなたの名所ものがたり」という一般に名所と言われるものを自分の物語として捉え直すストーリーテリング型ワークショップに取り組んでいて、共通点を感じました。事象を所与の視点ではなく、もっと身近なものに引きつけて捉え直しそこに意味を見つけて何かに繋げていく、そういった時代なのでしょうか。(真鍋)

「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。