ナラティブ・アプローチで社会をデザインする
沼田真一氏(早稲田大学社会科学総合学術院助手*)

インタビューアー 真鍋隆太郎(東京大学)、饗庭伸(首都大学東京)
この原稿はスカイプでインタビューを行った原稿をインタビューイー、インタビューアーが加筆するというやりとりを経て作成しました
*所属などはインタビュー時のものです

まずは沼田さんご自身の研究フィールドを紹介ください。

研究フィールドを一言でいうと「社会デザイン」です。「社会」の捉え方はさまざまですが、私は社会を人と人の相互行為、いわゆる関係の束ととらえ、ミクロに見ています。ここでいう「デザイン」は、人と人の関係をどう作り出せるのか、その仕組みや仕掛けを意味しています。

これまでどのようなキャリアを歩んでこられたのですか?

私は、1999年に早稲田大学社会科学部に入学しました。ちなみに2浪人しました(笑)。高校生の頃に阪神淡路大震災や、地下鉄サリン事件を経験し、受験勉強でひたすら勉強だけしていたので本当に世紀末感が漂っていました・・・。大学に入学後は映画や音楽、写真が好きで、そうしたサークルに出入りしていました。3年生でゼミを決めることになるのですが、ワタリウム美術館で読んだ「A」という雑誌に「都市計画は総合芸術だ」という言葉があり、強く感銘を受けました。「そうか!自分のやりたいことは都市計画で全部できるんだ!」と。とんだ勘違いです(笑)。ともかくも、ゼミの中でも最も興味に近い早田宰先生のゼミへ入り、そこから都市計画・まちづくりとの関係が始まりました。ちょうどその頃(大学3~4年生の頃)は、いくつものNPOやベンチャー企業が立ち上がり、インターンシップが盛んになり始めた時期で、不景気だけど新しい動きがあちこちで見られました。私もいろいろなところへ首を突っ込みました。早稲田大学界隈では、商店街の安井さん、桜井さん、学生だった乙武さんたちが注目されていました。NPOやベンチャーの最初の波、その最後尾にいた感じですかね。
3年生(2002年)の3月だったのですが、早稲田松竹という映画館が休館してしまったんです。それはものすごい衝撃で、いてもたっていられなかったんですね。まあ、若かったんです(笑)。仲間たちと「早稲田松竹復活プロジェクト」を展開しました。署名集めとビジネスモデルの構築に取り組みました。これは結果的に成功したプロジェクトで、大学時代の一番の思い出であり、人生においても一番の成果かもしれませんね。今では当時よりもお客さんがたくさん入っていて、本当に最高の作品を上映してくれる映画館です。

沼田真一氏

沼田真一氏

そのまま大学院に進学されたのでしょうか?

そんなことばかりしていて、就職活動していなかったんですね・・・。見るに見かねた早田先生が、「夢を実現するには力(技術)が必要だ」みたいなことをおっしゃって、愛知万博の仕事をしていた小川巧記さんの事務所を紹介してくださったのです。今でもよく覚えているのですが、築地の事務所に「自分なら万博でこんなことをしたい!」というようなプロポーザルを持っていったのですが・・・今思えば極めて雑なプロポーザルだったのですが、小川さんは「じゃあ、一緒にやろうか」といってくれたのです。というわけで就職活動は1時間で終了しました(笑)。
でも、そこから本当に大変で・・・愛知万博(2005)は「環境博覧会」と謳っていたのに、会場建設のために環境を破壊するという矛盾を抱え、準備段階で大変混乱していました。小川さんは実施そのものが困難になりかけた万博の意味と価値を再定義するプランニングを担当していました。その中で、万博に「市民参加」という概念を持ち込んで、「万博は時代のエンジンを見せるショーケースである。21世紀の時代のエンジンは市民(活動)である」とコンセプトメイクするのです。私はその市民参加の実現のために、参加を表明した市民や市民団体との出展のためのプランニング、ディレクション、ファシリテーションを担当することになりました。なんというか、よく過労で死ななかったなというか・・・。ちょうどそのころにソーシャル・キャピタル論に関連した本を読み、万博はソーシャル・キャピタルを生み出す装置ではないかと、もっと専門的に学びたいという想いを強めました。

そこから研究者の草鞋も履くようになったのですか?

その後、横浜開港150周年記念イベント(2009年)の仕事をしているときに大学院修士課程に入学しました。万博が終わってから、早田先生とお会いする機会があり、「修士にいらしたら?」とお声かけいただいたのです。それは、かなりの驚きで。というのは、自分にそういう選択肢があるなんて思いもしなかったのです。2007年のことですね。修士論文は横浜トリエンナーレ(2008)に参加していたボランティアがソーシャル・キャピタルをどう形成していくのかについて書き上げました。仕事をしながら大学に通い、2009年には無事修了。また、横浜のイベント終了と同時に会社を暖簾分けさせてもらい、独立しました。象設計集団にあこがれていたんですね(笑)。そして並行して早稲田大学の「参加のデザイン研究所(卯月盛夫所長)の研究員として川口のまちづくりに関わりはじめました。このあたりもたくさん話しがあるのですが・・・2011年に東日本大震災が発生します。以後は東北の復興に関わるようになりました。特に岩手県田野畑村(人口約3800人)での震災復興です。この時期に本格的に研究者として学んでいこうと想いを固めました。順序がおかしいですが、非常勤講師、博士課程、そして、今現在は助手を務めています。
今回のインタビューでお話しする「ナラティブ・アプローチ」は、田野畑村でのワークショップなどの経験が中心となっています。生活学会では「田野畑村におけるナラティブ・アプローチ―震災復興プロセスでの村の全体像構成手法の事例として―」と題した論文を発表しました。

「田野畑村」思惟大橋から日本海を望む©スズキアリト

「田野畑村」思惟大橋から日本海を望む ©Arito

沼田さんの研究テーマである「ナラティブ・アプローチ」と「映画づくりワークショップ」をはじめとするワークショップの取り組みについて教えて下さい。

私の研究キーワードは、「ナラティブ」「ワークショップ」「映像(映画)」です。
「ナラティブ(Narrative)」という語は、「物語」と和訳される限定的意味ではなく、「『語る内容』と『語る行為』を含むもの」という意味で使用しています。「ナラティブ・アプローチ」というのは、このナラティブを重視した研究内容、もしくは研究方法の総称です。
ナラティブに関する研究は、臨床心理や社会福祉領域で発展してきました。社会構成主義に基づく「治療」です。社会構成主義は「言葉が現実(社会)を創りだす」という考え方ですね。「病は気から」といいますが、「病は言葉から」とでもいいましょうか。たとえば、ある病気を「死へのカウントダウン」と捉えるか「充実した毎日を過ごすきっかけ」と捉えるか、その意味解釈は当事者や家族にとって多様にありえます。どのような解釈であれ、唯一の「正解」はなく、どれもが「成解」なわけです。この「個人」の問題を解決するために行われていた「ナラティブ・アプローチ」に注目し、「治療」の対象を「地域」に拡張していこうと考えています。地域の「病い(課題)」を「地域についての語り」から抽出して、その物語を変容させられないかという発想です。

ワークショップという手法はその中でどういう位置を占めているのですか?

私は、さまざまな背景を持った参加者が「相互行為」する場として、ワークショップを捉えています。そして、ワークショップは「合意を形成する手法」というよりも、もっと手前の「共通認識の形成や相互理解を促進する手法」としての位置づけを重視しています。ひとことで言えば、「合意前提の形成手法」でしょうか。
印象的なワークショップ体験があります。「ワールドカフェ」(注1)という形式のワークショップが登場してきたときです。ワールドカフェは「語り」を重視しているため、一部の人々から「ただ話しているだけじゃないか!」と批判されたことがありました。ようは、なんにも決まらないのです(笑)。たしかに、一部のワークショップでは、「意思決定」「合意形成」が重視されているため、思っていること、考えていることを開示し、相互理解を重視するワークショップに対して違和感があったのかもしれません。ですが、ワークショップは唯一の「正解」ではなく、「成解」をえるための手法だと考えています。つまり、先程も少しでてきましたが、「答えは1つじゃない」ということです。「こんな未来があってもいい」「こんな商店街があってもいい」そういう理想を言葉にしていきます。そして、物語にしていきます。この実践に映像を使うことが有用であると考えています。

映画づくりワークショップでは具体的にはどういう手法をとっているのですか?

私が実施している映画づくりワークショップは、90秒や長くて5分程度のショートムービーを制作する内容です。田野畑村の場合では2012年の夏に、「奇跡の物語」というテーマで取り組みました。「奇跡」というテーマ設定は、人々の「葛藤(conflict)」を表出させます。つまり、葛藤を解決するために奇跡が起きるわけです。完成作品をみることで、そもそも参加者の葛藤は何だったのかを知ることができるのです。
実施期間は2日間、参加者は中学生15人でした。4つのグループに分かれてもらい、それぞれのグループに大学生がアシスタントして2人ずつ入ります。30秒や、60秒のショートムービーを作る中でなんとなくやり方覚えてもらいます。その後、脚本を作り、撮影、簡単な編集、上映会と実施して終了です。ちなみに、機材の利用に関しては、こちらからは「ボタンを押せば(カメラが)回る」程度のことしか教えません(笑)。正直言って、それだけで十分で、意外とそれらしい映画が完成します。

脚本を考える

脚本を考える

撮影の様子

撮影の様子

どういう成果が得られましたか?

中学生を対象とした映画づくりワークショップは初めてでした。ですので、どんな映画になるのか想像もつかなかったのですが、実際に彼らがつくった作品は「震災前に戻って思い出を取りに行く」「未来の田野畑村の合併を回避する」「東京から来た人間に田野畑村を好きになってくれるように努力する」「自分の夢を実現するために村から出て行くか悩む」といったかなり現実にある個人や地域の葛藤が前面にでた物語でした(注2)
たとえば、「震災前に戻って思い出を取りに行く」という物語なのですが、彼らは「震災をなかったことにする」という「奇跡」を設定することもできたはずです。しかし、震災自体をなかったことにするとか、震災が起こることを村の人々に知らせて人々を救うとかそういう物語ではないわけです。あとから村の人に教えてもらったのですが、このグループに参加していた子の1人は実際に震災で家族を亡くしていたそうなのです。その事実が、思い出を取り戻しにいく、という内容に繋がったのではないかと言われて言葉がありませんでした。「やっぱり、普段はなにも言わないけれど・・・辛いよね」と村の人はいうわけです。語られない葛藤を、フィクションとして映画を作ることで改めてその鑑賞者が理解できる。そういうきっかけになったといえます。
もう1つ、「未来の田野畑村の合併を回避する」映画は、回避の方法はカットされて描かれないのです。「合併が嫌だ」「けれど具体的な回避の方法はわからない」というわけです。さらに、この2つの映画は1つの時間軸でつながっていることに気がつきます。どういうことかというと、「過去は変えられない。でも未来は変えられる」というメッセージです。参加した中学生にそんな意図はなかったのかもしれません。でも、そう解釈することが可能なのです。

二つの映画の分析からどういうことが言えるのでしょう?

それぞれの場面で映る人やものが地域に実際に存在するので、作られる映画はフィクションでありながら極めてリアルです。「奇跡」は普段の生活世界にある「葛藤」と無縁に描くことはできないのです。生活者として、そこに住む人々が何を感じ、何に迷い、何を目指しているのか、それを映画づくりワークショップは「結果として」知らしめてしまうのです。整理すると、映画を作るために「自分はなにものか(何を考えているのか)」を語る相互行為での個人の変化を分析し、出来上がった映画から「どんな場所で」「どんな人が」「どんなことを喋る」かを分析し、映画を鑑賞した人々が感想を「語り合うこと」で何を見出しうるのかを分析します。こうした映画づくりワークショップは「ナラティブ・アプローチ」の新しい方法論だと確信しています。

映画づくりワークショップという方法にはどうやってたどり着いたのですか?

ナラティブ・アプローチの最初の取り組みは「インタビュー映像を使ったワークショップ」でした。しかし、1時間のインタビューを5分に編集する、ということになり、そこに編集者の恣意性が入らざるをえない、ということが大きな課題でした。1時間の撮影データがあるうち、55分は切らなくてはいけない。では、なぜその55分を切ったのかと問われるわけです。その限界を乗り越えるために映画づくりワークショップに取り組みました。そこでは、参加者が撮影、編集の全てを行います。参加者が「0」から作り上げた物語は参加者以外の意図を排除できます。また、大事なことなのですが、参加者から予想以上の反響がありました。つまりは「めちゃくちゃ面白い」のです。人はやはり「正しい」ことより「楽しい」ことに集まるわけです。「映画つくろうよ!」は小難しい利用を説明しなくても、「面白そう!」とリアクションがあります。そして、集まると「地域の歴史」とか「自分の悩み」「地域の課題」を話すことになるのですが、「まちづくり」に縁遠い人々の参加につながります。大変な苦労もあるわけですが、達成感がとても大きく、参加者同士がとても仲良くなります。もう、初めて会った同士とは思えないくらい(笑)。ソーシャル・キャピタルの醸成手法としても注目しています。

参加者はどんな反応でしょうか?

小学生相手に実施した映画づくりワークショップでは、子どもたちが目に見えて変わっていくのです。「おれは絶対に映画監督になる!」みたいな(笑)。いわゆる経験学習や変容的学習としての効果が見られます。また、先程の田野畑村の映画作品ですが、村内の公園にある「地球のネジ」というオブジェを回すと過去に遡るという設定を作り上げたことが大変面白かったです。空間にあるものの価値・意味を再定義し、再提示することにつながっています。普段の生活ではだれも見向きもしないオブジェなのですけど(笑)、「それって面白いよね」となるわけです。そんな村があったら行ってみたいじゃないですか。行きたくありませんか?
他にも物語における「空間」と「行為」の関係に注目しています。現象学的地理学の領域ですかね。「秘密を打ち明ける場所」として「公園」が選択されたり、「別離」「再会」を描く場面として「歩道橋」が選択されたりします。「空間」と「行為」が紐付けられていることが大きな発見でもあります。つまり、トイレの前とか、適当なところでは告白シーンを描かないのです(笑)。田野畑村の映画でも「きれいなところだろ?」といって「美しい村の風景」を紹介するシーンがあるのですが、それはやはり、参加した中学生たちが実際にそう思っている場所なのだと思います。つまり、物語から空間利用の現状や可能性を再構成できるということです。なぜ、まちに公園が必要かというと、秘密を語る場所としての潜在的な価値がその空間にあるからで、その公園がなくなってしまうとカップル誕生の機会が減少し、それが日本の少子化につながってしまうのだという・・・すいません、論が飛躍しましたが、今後さらに検証していきたいテーマです。このようにかなり学際的な研究になりつつある映画づくりワークショップは、一連の活動の到達点と言って良いと考えています。

「地球のネジ」を利用して

「地球のネジ」を利用して

沼田さんの活動と生活学との関係を教えてください。

私の活動と生活学との関係は明確です。生活学が、人と人との関係、人とものとの関係をみようとする学問であるならば、生活学とは関係学であると言い換えられます。すなわち、関係をどう捉えるか、どう創り出すかと考えることが生活学ではないでしょうか。そのように考えれば、冒頭に話した社会デザインは生活学的であるといえます。人と人、人ともの、人と空間をどう捉える必要があるのか、捉えることができるのか、捉えるべきなのかは、私の研究そのものです。

今後の展望について教えてください。

映画づくりワークショップを学際的に解体して博士論文へつなげる予定です。
繰り返しになるので、ごく簡単にしますと、映画づくりワークショップは、参加者個人に対して「学習」と「治療」効果が見られます。そして、集団内のソーシャル・キャピタルの醸成に寄与しています。また、地域での空間の意味や価値の再認識、再設計の方法として有効であろうと思われ、現象学的計画論(パッツィー・ヒーリー)、現象学的地理学(ドリーン・マッシー)といった研究と通じるところがあります。
また、実は、まだ学会発表などにいたっておりませんが、五線譜から解放された作曲行為に興味関心があり、小さな実験を繰り返しています。「人」と「音」と「空間」をつなぎ、地域の「らしさ」をどのように表現可能か、という実験ですね。サウンドスケープ研究の延長にある「曲づくりワークショップ」の展開です(注3)。初音ミクなどのボーカロイド技術の向上やさまざまな作曲アプリケーションの登場は、音楽を「聴く」ものから「創る」ものに変えていきます。無料の音楽配信サービスも多数登場して、もうすごい時代がきたな!と(笑)。これは映画も同じなのですが、映像(映画)は「観る」ものから「創る」ものへと変わってきました。音楽もやがてそうなっていくでしょう。正直ワクワクが止まりません。他にも「本」を通した人と場所のネットワーク化を自分の居住区である横浜でやっています。とにかく!やりたいことだらけです!

生活学会会員や、広く社会に対してアピールしたいことがあればお願いします。

自分が世界の一部しか知りえないという自覚を忘れてはならず、同時に、自分の研究をいかにして生活に活かせるかを問い続けなければならないということでしょうか。
プライベートのことですが、我が子が重い障害を持って生まれています。一年近く病院のNICU(新生児特定集中治療室)にいました。そこでは、自分が社会デザインという研究領域を名乗り、つながるための仕組みや仕掛けを日々研究しているというのに、何もできない無力感に苛みました。そこでは死にゆく子どもたちがいるのです。もう、どうしよもないのです。悲嘆に暮れる子どもたちの親がすぐそこにいても、何もできることがなかったのです。声をかけることさえできない。それが求められているのかさえわからない。これまでは関係や共感を重視するべきだと考えていました。しかし、私はそのNICUという場の存在をまったくしりませんでしたし、その場ほど関係や共感が必要とされる場はなかったのにもかかわらず、なにもできなかったのです。極端ですが、共感できないから人は生きていけると考えました。人にはやはり、共感し、理解することが不可能な領域が間違いなくある。共感不可能性というものがあって、生活の中で、何に共感して何に共感しないのか、何を理解すべきで何を理解すべきではないのかを問われたように感じました。生活学が関係学だとすると、共感が不可能という前提の中で、どこまで他者に近づけるかを考える必要があります。「他者」とはわかりあえないからこそ、「他者」なのだと思うのです。だからわかりあえなくて良いと思っているのではなく、「まったくの他者でも、わかりあえることがある」ときに、人は喜びを感じ、楽しさや癒やしをえるのではないでしょうか。だから、私の研究の多くはそうした福祉領域に踏み込んでいます。
最後になりましたが、ワークショップはお酒に似ていると思います。つまり、飲んでみないと味がわからないのです。映画づくりワークショップの魅力は、やはり言葉では説明し尽くせません。お酒のように気持ちよく酔う人がいるかもしれませんし、「こんなの飲めたもんじゃない!」と言って怒る人もいるかもしれません(笑)。いずれにしても、ぜひ、やってみたいという方がいたら連絡をいただきたいですね。

ありがとうございました。

(インタビュー実施日 2016年1月27日)

(注1) こちらのURLを参照。沼田は運営スタッフで参加。
(注2) 順に次の作品タイトル。動画を閲覧できる。過去へ行く鉄道」「SCREW OF THE EARTH」「あの夏」「たのはタッチ
(注3) こちらのURLからサンプルの視聴が可能。横浜旭区の白根通り周辺から「音」を採集し、17のループする音素材を作って、4つのトラックをランダムに自動再生させ楽曲を構成。楽曲の自動生成アプリケーションを開発。

インタビューを終えて(インタビュアーの一言)

沼田さんの活動は、使っている概念は実に難しいのですが、やっていることは実にわかりやすい。ワークショップに参加した子供達が真剣に顔を付き合わせているところや、終わった後の笑顔が目に浮かぶようです。そういった真剣なコミュニケーションの中から生まれる語りをすくい上げ、解釈し、言葉を整えて、ふたたびコミュニケーションに投入する、このことが新しい「社会デザイン」という行為なのでしょう。近年の映像技術の手軽化に支えられ、現代に初めて成立した「あたらしいデザインの手法」と感じました。(饗庭)

映画だけに関わらず創作活動はそれ自体も楽しいですし、作るものがフィクションであっても関わる方々のリアルが浸透している。だから、映画を作るための会話、出来上がった映画の中、そして映画を鑑賞した感想、の3つの中にあるナラティブのそれぞれが、個人の、そして地域のものがたりへつながるという視点が目から鱗でした。「正解」を求めず「成解」を求めることこそ、成熟社会の在り方を示しているのだろうと思います。(真鍋)

「日本生活学会の100人」は、日本生活学会の論文発表者、学会賞受賞者、生活学プロジェクトの採択者から、若手会員を中心に学会員の興味深い活動や思考を掘り起こし、インタビュー形式の記事としたものです。