人間のいるところ、かならず生活がある

学会長あいさつ

日本生活学会会長に就任して

uchida2年間、引き続き、会長職をお引き受けすることになりました。副会長の高増雅子・塩月亮子両氏ならびに新理事の皆さまともども、よろしくお願いいたします。

さて、今年は、明治150年という節目の年であり、この150年の歴史を振り返る様々な事業が各分野で展開されているようです。本学会の主題である「生活」も、この150年で大きく変わりました。もっとも150年という長い年月ではなく、この10年ほどの年月を振り返っただけでも、いろいろ大きく変わったように感じています。例えば、個人的に少し気になっているのですが、通勤電車の中の風景が大きく変わりました。一時期、女性の化粧姿が見られることが話題になって、公共性の意味が問われたことがありましたが、最近の新しい変化としては電車の中で文庫を紐解く人をほとんど見かけなくなったことが挙げられます。大半の人は、スマホを見ています。いまだガラケイの私は、スマホで何を見ているのかとついつい気になって隣人たちのスマホの画面を一瞬横目で覗き見てしまうこともあるのですが(失礼しています!)、大半はゲーム。他は、ネットをいろいろ見ている人、テレビやビデオを見ている人、あるいはメールを見ている人となるようです。
こうした変化は、大学の講義の風景も見られます。講義には最低必要と思われる教科書や参考書は殆んど持参せず、大概スマホをいじり、また、ノートの代りに板書やスライドそのものをスマホで撮影している人が沢山います。どちらも、風景から“本”は消えつつあるのです。本の代りにスマホがすべての様です。かなり前に教育を受けた身からすれば、老婆心ながら、学問=書物というイメージが強くあり、それゆえこれで大丈夫なのかと心配になります。

ところで、このような心配はさておいて、こうした生活風景の変化は実はアッという間に忘れ去られてしまい、その風景が当たり前のものとなってしまいます。こうした変化の意味を問うことがほとんどない今日、こうした風景の変化が歴史として記述されることはほとんどないと思います。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。先の女性の化粧姿もそうでした。やはり、生活は日常の中で刻一刻と変化しているのです。少なくとも、こうした変化の状況を記録し、その意味を議論することは常に必要なことではないかと改めて思うのです。記録さえあれば、後に検証し、歴史的資料としても使えます。
こうした変化を記録化しておくことの重要性を主張したのが今和次郎であり、考現学でした。「今日の生活の変化を直視し、その先を考えること!」は、やはり重要な学問のひとつではないかと素朴に思います。
いずれにせよ、明治150年という今年こそ、日本生活学会の出番のように思っています。会員の皆様はもちろんのこと、“生活”に興味のある方々も御一緒に、改めて今日の生活について考え、また、何が変わったのかを真剣に議論し、この150年の生活の変化を振り返ってみませんか。

なお、私と生活学との出会いと生活学の魅力については先のご挨拶の中で触れました。以下、改めて再録させていただきます。
わたくしの専門領域は建築史学で、特に近代日本住宅史を専門としています。わが国の住宅は、幕末以降の欧米文化の導入とともに、大きな変化を遂げました。その変化は、近代化とも、洋風化とも称されていますが、とりわけ、洋風化に注目し、どのように変化してきたのかを考察しています。こうした研究を進めるなかで、住宅の変化という現象は、「住宅」というハードと「生活」というソフトのバランスのなかで派生するという素朴な思いに辿り着き、「生活」に興味を持ち始めました。しかしながら、当時の人々の「生活」や心はどのように変化してきたのかをどう分析したらいいのか、実際のところよく分りませんでした。やはり、社会学や民俗学あるいは経済学の専門家たちの成果を学ぶべきと考えました。そこで、当時所属していた日本建築学会以外の学会で、「生活」を冠した学会を探しました。日本生活文化史学会と日本生活学会があり、また、生活や風俗などを扱った学会として日本家政学会、日本風俗史学会などもありました。いずれにせよ、こうしたなかで本学会と出会うことになりました。
本学会は、1972年、多くの研究者たちの「人間のいるところ、かならず生活がある。」との共通認識から、生活学を提唱して誕生しました。そこでは、「生活学」は「まさしく生活を客体化し、理論化しようとするこころみにほかならない。そのかぎりで、生活学は生活の研究批判の学である。」と述べています。
この日本生活学会の設立宣言文の作成の中心人物が、初代会長となった今和次郎でした。今は、学会設立以前から既に「生活学」の必要性を主張していました。例えば、1952年に記した「生活の研究」では、「あらゆる学問は、結局われわれの生活研究に出発し、また帰着している」とし、「今日の生活設計についての原理を探ることを目標とすべき」学問として、「生活学」の必要性を説いています。本学会の創立以前には、「生活」を考える学問といえば、家政学などが想起され、また、女性の学問といったイメージが強かったように思われます。しかしながら、日本生活学会の「人間のいるところ、かならず生活がある。」という主張は、そうしたイメージを払拭し、万人の生活を対象とする学問であり、万人が自らの多様な生活を考える必要があることを説いているように思います。しかも、ここでいう「生活」は、まさしく現実の生活を指しています。言い換えれば、生活学とは、「現実の生活」を直視することから始まることを意味しているように思われます。また、今は1938年の「生活改善について」の中で、「生活」を学問として進めていく方法の視点として①信仰あるいは信念の問題、②人間関係と心の問題、③物件である衣食住の問題、④経済すなわち金の問題、の4点を挙げ、「これらをいつもからみ合う状態でキャッチしたい」と述べています。「信仰」も「人間関係」、「心」、あるいは「衣」、「食」、「住」、そして、「経済」もすべてそれぞれ独立した学問領域が存在しています。このことから、今は、さまざまな学問の成果を総合化させること、いわば学際的環境の中で「生活学」を考えたいと述べていることが理解されます。言い換えれば、今は細分化された観点からアプローチし、それらを総合化する方法をめざしたのです。いずれにせよ、自分自身の専門領域の成果を他領域の専門家とともに見直すことは、今でも極めて新鮮で刺激的です。少なくとも様々な専門領域の人々と「生活」の問題を議論することから、一人では気づかなかった新しく多様な研究の意味が垣間見えてくるように思います。

このように日本生活学会は、生活学の専門家というよりは、わたくしのように「生活」に興味や関心を抱く多様な分野を専門とする人々からなる学際的な学会です。みなさんの多様な専門分野の成果を結集し、豊かな生活をめざす「生活学」を構築していきたいと思っています。また、異分野の人々との交流を求めている方は、是非、入会し、専門分野の成果をご披露ください。入会をお待ちしています。

日本生活学会会長
内田 青蔵
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