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松平 誠先生を偲ぶ

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松平 誠先生を偲ぶ

大東文化大学 中野紀和

松平誠先生

松平誠先生

日本生活学会のなかに、祭りを通じて現代の都市生活を捉えるという一つの流れを定着させたのは、松平誠先生であったと言ってよいでしょう。

松平先生には多くの御著書がありますが、その半数以上は祭り・マツリに関わるものでした。伝統的な都市の祭りから地縁を離れた新たなマツリまで、常に最新の動向に目配りをされていました。なかでも今和次郎賞を受賞された『都市祝祭の社会学』(有斐閣1990年)では、伝統的祝祭と非伝統的祝祭の両方を取り上げ、「地域」に基づく人の縁のみならず、「地域」を越えて人がつながり、どのように新しい民衆文化の形を形成していくのかを論じています。町内会や個人のネットワークの動きを詳細に押さえつつ、社会全体のあり方を大局的な見地から問おうとするものでした。祭礼ではなく、「祝祭」という言葉にこだわったのは、伝統的なものであれ非伝統的なものであれ、個人の共同行為がもたらすエネルギーの発露の向こう側に、次の時代へと向かう人々の感性を見ようとしていたからだと思われます。

そこには、1930年に生まれた先生自身が経験された時代への意識が反映されていたようです。生活学選書の『ヤミ市‐東京池袋』(ドメス出版1985年)をはじめとする一連のヤミ市研究には、幼少期を過ごされた東京での暮らしと戦後のモノのない時期の京都での学生生活を思い起こしながら、庶民の暮らしの変遷を捉えようとする先生独自の視点が凝縮されています。闇市ではなくヤミ市と表記し、「虚」としてのヤミと「実」としての庶民生活を対比しながら、「虚」と「実」そして「公」との関係を問う視点は祝祭研究にも重なるものでした。

『入浴の解体新書‐浮世風呂文化のストラクチャー』(小学館1997年)、『駄菓子屋横丁の昭和史』(小学館2005年)といった仕事の他、Y-M・ベルセの『祭りと叛乱』(新評論1980)、『鍋とランセット-民間信仰と予防医学』(新評論1988)には翻訳者として関わっています。あまり知られていませんが、旧制静岡高校時代にフランス語を学んだことがこうした翻訳につながっています。これらは一見つながりのないテーマに見えても、庶民生活史という点で一貫していることがわかります、また、川越まつりの調査では、川越藩主であった松平家の直系ということで、地元の方々に良くしてもらったと懐かしそうに語ることもありました。

このような多岐にわたる関心と研究の方向性をもっとも深く共有していたと思われる盟友が、日本生活学会の発起人の一人であった米山俊直先生でした。二人の出会いは、都市の祭り研究が注目され始めた1970年代だったと聞いています。祭り研究を通して日本の都市人類学を牽引してきた米山先生が、京都で企画した座談会に松平先生を呼んだことが最初でした。それ以降、研究上で親しく交流され、松平先生も常々「文化人類学の人たちが非常に親しい感じがした」と話していました。二人は当時から「関東の松平、関西の米山」として祭り研究の双璧でした。その後、日本生活学会ではこの祭り・マツリ研究の流れを汲む、和崎春日先生、有末賢先生、阿南透先生、内田忠賢先生等、多くの研究者の活躍が見られます。

松平先生は日本生活学会が設立された1970年代の早い時期から今日まで、40年以上の長きにわたって学会に関わってきました。それは、多様な背景をもった専門分野の異なる会員が、その専門の枠にとどまることなく自由に議論できる場の重要性を、身を持って知っていたからでしょう。川添登先生と共に「おばあちゃんの原宿」の調査をしたり、『ヤミ市‐東京池袋』では日本女子大学の小川信子先生の門下生がスケッチを担当する等、日本生活学会によって結ばれた人たちが共同作業によって大きな成果を上げてきました。松平先生の一連の研究は、生活に対する幅広い知的好奇心と人の輪が交差した先に立ち上がってくる何かをすくい上げ、それがじっくりと大きなテーマに収斂されていく過程を示してくれるものでもありました。そのことに深く感謝するばかりです。

晩年、自宅の書庫を整理した先生が最後まで手元に残したのは、御著書と米山先生との対談が掲載された『季刊人類学』、やはり米山先生が執筆者の一人として名前を連ねた『遊びと日本人』、ヤミ市の発表をしたときの『生活学会報』(別冊、第10回春季研究発表梗概)、近年の『生活学会報』そして『値段史年表 明治大正昭和』『値段の明治大正昭和風俗史』でした。祝祭とヤミ市を通じて庶民生活の変遷を見つめてきた先生らしく、やはりこれが先生の研究の柱だったのだと改めて気づかされるものでした。

松平先生が追い続けてこられた祭り・マツリは、災害続きの日本において地域復興との関連で再び注目されるようになっていますが、先生ならこの動きをどうご覧になったでしょうか。この先を考え続けることが、生活学に携わる私たちの課題の一つなのでしょう。

11月30日に87歳で逝去される直前、11月初旬に生活学ヘリテージが完成し、先生がご自身の動画をしっかりとご覧になったとご家族から伺いました。間に合ってよかったと心から思います。その感想を直接聞くことができなかったことが残念で、寂しい限りです。

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